2013年5月5日日曜日

【モータウンな話】ヒット曲製造工場の終焉



1959年モータウンの前身タムラを設立した


ベリー・ゴーディJr.はミシガン州デトロイトウェストにある物件を購入


そこを小さな録音スタジオに改装 2階は住居


この場所が後にヒッツヴィルUSAスタジオなる


モータウン・レコードの本社となりました


1972年には本社をロサンゼルス移転しますが


ゴーディの姉はロサンゼルス行きを拒否しデトロイトに残ります


本社移転がモータウンレコードの


“終焉を意味する”



と感じたファンも多かったようです


現在のこの場所は“モータウン歴史博物館”となってます





“終焉を意味する”とした理由には


ダイアナ・ロスに比重をかけ過ぎて


畑違いの映画やテレビ業界への進出などの


方針転換による共同体制の良さが薄れたことや


完全分業制の崩壊が挙げられます


やはり一番痛かったのは


全く人気のなかった“スプリームス”や


“フォートップス”を一躍人気グループに育て上げた


ソングライター兼プロデューサー トリオH=D=Hの離脱でしょうか…


引き継いだ ノーマン・ホイットフィールドらも


ヒット曲を生み出しますが


H=D=Hの存在は大きく とても及びませんでした


プロデューサー・チームのザ・コーポレーションが手掛け


'69~'70年に活躍したJ5を最後に


ヒット曲製造が衰えてきましたね…



あくまで



“アーチストの育成や音楽作り”


についての話ですので






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