70年代の傑作アルバム「キー・オブ・ライフ」のリリースが遅れたのは
ひとつにはスティーヴィーが完璧を求めたこともあるが
前作「ファースト・フィナーレ」発表後
これまでスティーヴィーの成功を支えた
共同プロデューサーであったマルコム・セシルとロバート・マゴーレフの2人は
スティーヴィーに群がる連中や外圧にうんざりし解散することになり
プロジェクトには参加していなかった
スティーヴィー1人でプロデュースする事になった「キーオブ・ライフ」
当初のタイトルは
ファースト・フィナーレ2
(We Are Seeing A Lot,Let's See Life The Way It Is)
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