2013年5月8日水曜日
1980年【その時代と音楽 】☆特別編☆
1980年12月8日(日本時間9日)収録インタビューにて
「僕の人生で最も重要だった人は二人いる。それは、ポールとヨーコだ。それはとても良い選択だったと思っている。」
…
■世界では
1・26 イスラエルとエジブトが正式に国交を樹立
2・24 KDD疑惑で前社長室長が逮捕
4・7 テヘランの米国大使館での人質事件を発端に、米がイランと国交断絶
5・4 ユーゴのチトー大統領死去
5・27 韓国光州市で反政府の学生・市民が全市を占拠したが、厳戒軍が制圧し多数の死者を出す(光州事件)
6・12 大平首相が急死
6・22 初の衆参同日選挙、大平氏弔いムードで自民党が圧勝
7・17 鈴木善幸内閣発足
7・19 モスクワ・オリンピックが開幕するが、米はソ連のアフガニスタン介入を理由にボイコットし、日本もそれに追随
9・1 ポーランドで社会主義国初の自主管理労組結成
9・9 イラン・イラク戦争勃発
11・4 米大統領選でレーガンが当選
11・29 川崎市で金属バット事件
□音楽◇日本
1月に来日のポール・マッカートニーが大麻不法所持で逮捕されコンサート中止
11月に山口百恵が引退
■1980年とは
ジョン・レノンの音楽活動再開にはクイーンの曲『愛という名の欲望』に触発されたという話もありますが、この時期に活動を再開する予定ではあったことは、主夫生活中に日本へ訪れた際にメディアにも語っていました。
私はビートルズ世代でもなければ、ジョン・レノンやビートルズの音楽に入れ込んだわけでもありません。
ただ、この年に発表された『ウーマン』や『スターティング・オーヴァー』を初めて聴いた時は、良い曲だなぁと思いましたね。
12月8日(日本時間9日)、ファンを名乗る男(後に熱狂的ファン説は疑問視されている)によって銃で撃たれたニュースが流れ、私も、いち洋楽ファンとしてショックを受けましたし…
普段洋楽を聴かないような方でも、このニュースに衝撃を受けた人も多かったことでしょう。
それに、深く悲しんだ真のファンの気持ちを無視するかのように、マスコミ報道は横道に逸れ、諸説語られ人々が騒いだという感もありました…
この日を境に、ジョン・レノンとビートルズのレコードが爆発的に売れたのも事実です…
'80年は、ジョン・レノン数年振りの音楽活動再開とアルバム発表ということで、当然ながら注目されていたのです。
□ジョン・レノン(アメリカ東部時間)
8・4 アルバム『ダブル・ファンタジー』のレコーディングを開始
9・15 新作のジャケット写真を篠山紀信氏が撮影
9・22 ゲフィン・レコードと5年契約(アルバム8枚)を結ぶ
10・17 シングル『スターティング・オーバー』発売
11・15 アルバム『ダブル・ファンタジー』発売(※共同作品)
12・8 午前中、自宅にてアニー・リーボヴィッツとフォト・セッション(ローリングストーン誌掲載用)〈画削除〉
12・8 ニューヨークのRKOラジオのインタビューを受け、
〓ヨーコより早く死にたい。ヨーコが死んだら僕は生きていけないからだ〓と語る
12・8 スタジオからの帰宅途中、ダコタ・ハウスの玄関前で凶弾に倒れる
2013年5月7日火曜日
1970年【その時代と音楽】(※モータウンばかりですが<(_ _)>)
1970年1月 ジャクソン5の「アイ・ウォント・ユー・バック」('69.12リリース)が全米1位を獲得すると、続けて発売されたシングル【ABC】【The Love You Save】【I'll Be There】と全てNo.1となった。
■世界では
3.15 大阪で万国博覧会開幕
3.31 日航機よど号を赤軍派学生9人がハイジャック
5.04 米オハイオ州ケントの州立大学の反戦デモで州兵が学生4人を射殺
5.15 仏が南太平洋で核実験 以後8月までに計8回実施
11.03 チリでアジェンデ政権誕生 中南米初の選挙による社会主義政権となる
12.20 沖縄でコザ暴動
□音楽
9月にジミ・ヘンドリックス、10月にジャニス・ジョプリンと、大物が相次いで薬物使用がらみで死亡。
12.31 ポール・マッカートニーは、ビートルズのパートナーシップ解消を要求する訴訟を起こす('69年「アビー・ロード」リリース直前からジョンと完全に決裂状態であった)
モータウンではタミー・テレルが死去 24歳でした。
ダイアナ・ロスはマーヴィンとタミーの代表曲「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」をカヴァー、ソロ転向後初の全米No.1となる。
■1970年とは(個人的関心事)
※モータウンのことばかりになりますがm(__)m
タミーの死とマーヴィンの音楽活動休止・・・
この年は大物アーティストの悲しいニュースが重なりましたが
明るいニュースは“モータウン最後の大物”ジャクソン5の活躍!!と
スティーヴィ・ワンダーとシリータ・ライトの結婚もありましたね♪
この年にエドウィン・スターの「黒い戦争」が大ヒットしたのか!?
↑↑
テーマ:【モータウンな話】でまた詳しく書きたいと思います♪
Jackson Five @YouTube
1971年【その時代と音楽】>>
1971年【その時代と音楽】
1971年 ジャクソン5の活動と平行しながらモータウンの期待を一身に受けたマイケル・ジャクソンは「GOT TO BE THERE」でソロ・デビューする
■世界では
4・17 東パキスタン軍が掌握。バングラディシュ人民共和国として独立
5・14 連続婦女誘拐殺人の大久保清が逮捕される
6・13 「ニューヨーク・タイムズ」が米国防総省のヴェトナム秘密報告書を暴露
7・30 岩手県で自衛隊機と全日空機が空中衝突。全日空機の162人全員死亡
9・16 三里塚弟2次強制代執行で警官3人が死亡
10・25中国の国連復帰が決定
□音楽
キャロル・キングなどシンガー・ソングライターが人気に。
ポール・マッカートニーが妻リンダらとウィングス結成。
ジョン・レノンは『イマジン』を制作しヨーコと共にニューヨークに移り住むことに
※1980年12月6日インタビューでは=イマジンについて=「あの歌は実際はレノン=オノの作にすべきでさ、歌詞もコンセプトもヨーコから出ているんだけど、あの頃は僕はまだちょっと身勝手で男性上位で、彼女に負っているという点をオミットしちまったんだな。」
ローリング・ストーンズは自らのレコード会社を設立。
スライ&ザ・ファミリーストーン アルバム『暴動』を発表。
◇フィリー・ソウルの仕掛人
これまで保守的であったコロムビア・レコードは社長のクライヴ・デイヴィスが、モータウンの切り開いたブラック・ミュージックのマーケットに可能性を見て取っていた。1971年ケニー・ギャンブルとリオン・ハフとも思惑が一致し、彼らにフィラデルフィア・インターナショナル・レコード[PIR]を設立させ契約を結ぶ。(トム・ベルはフリーで参加)
◇日本では
天池真理、南沙織がデビュー。
◇モータウンでは
マーヴィン・ゲイの復帰作『ホワッツ・ゴーイン・オン』発表。
スティーヴィ・ワンダーはモータウンとの契約が切れ「……しばらく誰とも契約しないで、冷静に見つめ直すことに決めた……」。
□1971年とは(個人的関心事)
マーヴィン・ゲイのこと(タミーの死のショックとF・ブラザーズについては省きます)
ここではアルバムのコンセプトについて
マーヴィンは以前よりモータウンの政治的な題材を制限するやり方に不満を抱いていて
アルバム『ホワッツ・ゴーイン・オン』は
ゲットーで暮らす子供たちの問題から反戦を呼びかける
社会問題など幅広い題材を取り上げています
【
また モータウンではシングル中心が当たり前でしたが
アルバム中の9曲はそれぞれ独立しているのではなく
テーマが途切れることなく繋がり
アルバム全体でひとつの作品になっている点は
モータウンにとってはまったく新しい試みだったようですね♪
遠くを見つめるマーヴィン…裏ジャケットには氷雨が降るなか児童公園にひとり立つ姿が写っている
1972年【その時代と音楽】
■1972年とは(個人的関心事)①
ひとつはジャクソン・ファイヴについて
彼らはモータウンと契約をする前から
ブラック・ミュージックの中で着実に評判を積み重ねていました
サム・ムーア(サム&デイヴ:*スタックス所属)が
彼らをお気に入りだった話や
グラディス・ナイト(モータウン)やボビー・テイラー(傘下VIP)の逸話もありますが
当時のモータウンはダイアナ・ロスが彼らを見出だしたと
ジャクソン5の“成功物語を演出”します
モータウンが彼らを磨き上げたのは間違いないですが
モータウンが栄光に“陰りが見え始めた時期”に
ソロのマイケル・ジャクソンとグループを
同時に売り出すことに成功したことは
モータウンとっては非常に大きかったことでしょう
※1972年マイケルのソロ・シングル「Ben」は全米1位を獲得。
■世界では
1・30 北アイルランドのロンデリーで英軍がデモ隊23人虐殺(血の日曜日)
2・02 横井庄一がグアム島から帰国
2・03 札幌オリンピック開幕
2・19~28 連合赤軍の浅間山荘事件
2・21 ニクソン米大統領が訪中
5・15 沖縄が日本に返還される
7・07 田中角栄内閣が発足
7・31 英軍が北アイルランド武力制圧
9・29 田中角栄が訪中で日中国交樹立
12・18 米が北ヴェトナム爆撃再開発表
□音楽
ザ・ローリング・ストーンズはアメリカでは'69年の「オルタモントの悲劇」以来となる北米ツアーを行い、スティーヴィ・ワンダーがオープニング・アクトを務める。ツアー終盤にはミック・ジャガーと共演。
活動拠点をロサンジェルスに移していた('70年)EW&Fのモーリス・ホワイトは、この年コロムビア・レコードに移籍。フィリップ・ベイリーが加入。
◇ワッツタックス
スタックスはこの年、伝説的コンサート(一部では黒人のウッド・ストックとも言われた)を行い、ロサンジェルスのアフリカ系アメリカ人を中心に10万人以上集客。
◇モータウンでは
ベリー・ゴーディJr.は本拠地をデトロイトからロサンジェルスへ移す。
スティーヴィ・ワンダーは傑作アルバム「トーキング・ブック」発表。
テンプテイションズの名曲「パパ・ウォズ・ア・ローリン・ストーン」が全米1位獲得。
スモーキー・ロビンソンはミラクルズを脱退し、ソロ活動。
フォー・トップスがABC傘下ダンヒルに移籍
ダイアナ・ロスは映画「ビリー・ホリデー物語」で主演で熱演 など
◇日本では
よしだたくろうが「結婚しようよ」「旅の宿」で人気に
■1972年とは(個人的関心事)②
モータウンの本拠地移転と映画進出…
歴史をねじ曲げて脚色したといわれた
伝記映画「ビリーホリデー物語」や
モータウンのハリウッドにおける
評判をひどく落としたと言われた「マホガニー物語」など
周辺事情にも興味は尽きません😞
そしてモータウンのアーティストたちの移籍が加速してゆくなか
スティーヴィ・ワンダーはモータウンにとどまり
新しいメロディで人々を驚かせていきます
1973年【その時代と音楽】
ジャクソン5の活躍を最後にモータウンのヒット製造工場の生産ラインはストップした
看板アーティストのマーヴィン・ゲイやスティーヴィ・ワンダーは自らの新しい音楽を創造し
モータウンはそのレコードをただ販売する会社となる・・・
■世界では
※1・27 ヴェトナム和平協定調印
5・17 米上院ウォーターゲイト事件特別調査委員会で公聴会を開始
10・23 原油高騰(オイルショック)
□音楽
カーペンターズ『ナウ&ゼン』大ヒット。
4・1 ジョン・レノンとオノ・ヨーコは、架空の国家「ヌートピア」の誕生を宣言したが、10月に二人は別居し“失われた週末”が始まる。11月にアルバム『ヌートピア宣言』発表。
ザ・ローリング・ストーンズはアルバム「Goate Head Soup/山羊の頭のスープ」を発表。シングル『悲しみのアンジー』は全米1位に。この年は日本公演を予定していたが、直前になり入国拒否で中止となった。
◇日本では
ジャクソン5が初来日し、オリビア・ニュートン=ジョンと東京音楽祭に出演。日本からは、森山良子、布施明、尾崎紀世彦など。
ダイアナ・ロスが来日公演。
桜田淳子、山口百恵デビュー。
◇モータウンでは
マーヴィン・ゲイ『レッツ・ゲット・イット・オン』、スティーヴィ・ワンダー『インナービジョンズ』、ダイアナ・ロス『タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング』と
モータウン3代アーティストにより発表されたアルバムがそれぞれ大ヒット!
元テンプスのエディ・ケンドリックス「キープ・オン・トラッキング」が大ヒット
グラディス・ナイト&ザ・ピップス「さよならは悲しい言葉」が大ヒットしたが直後にブッダレーベルへ移籍・・・。
■1973年とは(個人的関心事)
モータウン・サウンドは終焉を迎えましたが70年代のモータウン・レコードを支えたビッグ・3の活躍!
マーヴィン・ゲイ、スティーヴィ・ワンダー、ダイアナ・ロス(モータウンからのソロに限ると)がこの年に発表した曲は個人的にはとても好きです
エディ・ケンドリックスが歴史的に重要な曲を発表しているのですが…詳細がわかればまた紹介したいと思います
そしてなんといっても大物アーティストの移籍が止まらない・・・
↑↑
この方のヴォーカルは好きだな~
でもすごい衣装
1974年【その時代と音楽】
ジャクソン5はアルバム「ダンシング・マシーン」をリリース。同タイトル・シングル[POP-2]はモータウン最後(J-5)のヒット曲となる。
■世界では
2・13 ソ連の反体制作家ソルジェニーツィンが国外に追放される
3・12 ルパング島から小野田寛郎氏帰国
4・11~13 公労協、官公労などゼネスト、国鉄が初の全面連休
5・24 デューク・エリントン氏死去(音楽家)
5・09 ※ニクソン米大統領がウォーターゲイト事件で辞任。後任はフォード
11・26 田中首相が金脈問題で辞意表明
12・9 三木武夫内閣発足
□音楽
ジョン・レノンはエルトン・ジョンのコンサートに飛び入り参加 終了後にヨーコと楽屋で再会

ローリング・ストーンズは『イッツ・オンリー・ロックンロール』リリース
エリック・クラプトンがボブ・マーリーの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」を歌いヒット
ベイ・シティ・ローラーズが人気絶頂に
シャーリー・ブラウンの「ウーマン・トゥ・ウーマン」が大ヒット!スタックス最後のヒット曲となる。※南部特有の泥臭さがなく都会的で洒落た感じ。
◇モータウンでは
スティーヴィ・ワンダー『ファースト・フィナーレ』発表
※大ヒットしたシングル『悪夢』では、バックグラウンド・ヴォーカルにジャクソン5が参加。
コモドアーズの『マシン・ガン』がヒット。('71年からモータウン専属となり当初はジャクソン5のツアー・サポートなどをしていた)
◇日本では
井上陽水『氷の世界』が初のミリオン・セラーとなる。
8月に郡山ワンステップフェスティヴァルが開かれオノ・ヨーコが出演。
■1974年とは(個人的関心事)
スティーヴィ・ワンダーとジャクソン・ファイヴのこと
シングル『悪夢』のテーマについて
『悪夢』の歌詞はニクソン米大統領と政府を
痛烈に批判していることは確かのようですが
辞任した米大統領のウォーター・ゲイト事件に直接な関連ではなく
政府が公約を遂行出来なかった事に対して(公民権に関し)
“人々の声を代弁”していたようです
歌詞には【ジャクソン5】が登場し
コーラスにも参加しています
そのコーラス部分〓ドゥー・ドゥー・ワップ……〓の変な言葉遊びも
皮肉が込めているらしいです・・・(明確な解説ができなく申し訳ありません)
しかし^^;まだ子供のジャクソン5を政治的なことに
巻き込むのは如何なものか・・・
“スティーヴィ!!ちょっとやり過ぎじゃないの?”
って思ったりもしますけどね・・・(^^;)
そのジャクソン5の人気も落ち着き
結局モータウンからPOPチャート1位に輝いた曲(クリスマス・チャート除く)は
デビューからの連続4曲のみでした(ソロ・マイケルは'72年「Ben」1曲のみ)
要するに40年以上も前の[I Want You Back][ABC][The Love You Save][I'll Be There]&[Ben]は現在でも洋楽ファンのほとんどの方が知っているってことですよね~♪・・・
“悪夢” @YouTube
1975年【その時代と音楽】
ジャクソン5は『ムーヴィング・ヴァイオレーション』をソロ・マイケルは前年に録音されていたとされる『フォーエバー・マイケル』を発表した。
この2作品はジャクソン5がモータウン在籍時に残した最後のアルバムとなる。
■世界では
4・29 米軍の総引き上げで南ヴェトナム全面降伏
11・15 南ヴェトナム再統一協議開始
11・20 スペインのフランコ総裁死去
□音楽
ビートルズは法的に解散
ローリング・ストーンズはロン・ウッドをサポート・ギタリストとして発表(翌年加入)
イーグルスはアルバム『呪われた夜』発表
クイーンはアルバム『オペラ座の夜』を発表 名曲“ボヘミアン・ラプソディー”収録
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ英公演で大反響
ローリン・ヒル ニュージャージー州サウスオレンジに生まれる
◇日本では
中島みゆき『時代』がヒット
◇モータウンでは
スティーヴィ・ワンダーはワシントンD.C.にて「人類の愛の日」を決めて、無料コンサート開催し5万人を集めた
ジャクソン5がエピックへ移籍 ジャーメイン・ジャクソンはモータウンに残留
■1975年とは(個人的な関心事)
ゴーディのライバル パパ・ジョーの存在
ジャクソン5にはすでにマネージメントも出来て
息子たちに尊敬を要求し口答えを許さない(^^;;
強いリーダーのパパ・ジョー(ジョセフ)がいました
彼らはやがてモータウンの締め付けや印税の問題で不満を抱くようになります
またパパ・ジョーはモータウンがジャクソン5の成功において
ダイアナやゴーディの功績ばかりが強調され
自分や妻の果たした役割を過小評価していると感じていたらしいですね
1976年【その時代と音楽】
エピック(CBS)の移籍に伴い、モータウンとの契約上の問題からジャクソン5からザ・ジャクソンズと改名。グループはジャーメインが抜けたあとにランディが加入した。
この年には、初のアフリカ系アメリカ人による主演番組(CBS/12回オンエア)の放送が開始され、ジャーメインを除くジャクソン・ファミリーが出演、三女ジャネットの存在感が際立った。
■世界では
2・04 ロッキード事件発覚
11・3 米大統領選でカーター氏が当選
12・24 福田赳夫内閣発足
-- 鹿児島県にて5っ子誕生
□音楽
ジョン・レノンはアメリカでの永住権を獲得し主夫生活始まる
イーグルスは名盤『ホテル・カリフォルニア』発表
アバ『ダンシング・クイーン』が世界的に大ヒット
セックス・ピストルズがライヴ・デビュー
◇日本では
『およげたいやきくん』が空前の大ヒット('75.12リリース歌:子門真人)
※中島みゆき ファースト・アルバム『私の声が聞こえますか』発表
◇モータウンでは
※スティーヴィ・ワンダーはアルバム『キー・オブ・ライフ』発表
マーヴィン・ゲイはアルバム『アイ・ウォント・ユー』発表
ダイアナ・ロスのシングル『ラブ・ハングオーヴァー』が全米1位獲得※ディスコ・サウンド・ブームを意識した曲です
※テルマ・フューストンのディスコ・ナンバーシングル『ドント・リーヴ・ミー・ディス・ウェイ』が全米1位獲得
テンプテイションズとミラクルズはモータウンを去る
■1976年とは(個人的な関心事)
※テルマ・フューストンのアルバムは持ってなくYouTubeで他の曲を聴いてみたところ、素晴らしい声に驚きました。シリータ・ライトのカヴァーもしているようなので、この方のアルバムは是非買ってみたいと思います!
※スティーヴィ・ワンダーの『キー・オブ・ライフ』について、【1987年発行「スティービー・ワンダー 心の愛」著者ジョン・スウェンソン:発行所(株)シンコー・ミュージック】のなかで著者は〓…何曲か良い曲があるものの、以前のアイデアを誇張して焼き直ししただけの、ただ退屈な曲が詰まったものにすぎなかった。…〓とバッサリ斬ってますねぇ・・・著書のなかでのインパクトはありましたが、音楽評論家としてのアピールなのか・・・。でもこのアルバムがそのような批評の的になったのには、それなりの理由があるのも事実…また別のテーマで話します^^;
※以前より興味があるのは“中島みゆき”さんです。'80年代に「つめたい別れ」「あたいの夏休み」でスティーヴィ・ワンダーがハーモニカやシンセでそれぞれレコーディングに参加していることと、オリコンで4つの年代でシングル・チャートで1位を獲得した唯一のソロ・シンガーだそうです。(Wikipedia参考)。
1977年【その時代と音楽】
ザ・ジャクソンズはアルバム『ゴーイン・プレイシズ』をリリース。前作(ファースト・アルバム)に次いでプローデューサーにPIRのギャンブル&ハフを迎えた。
■世界では
8・12 中国共産党が文化革命終結宣言
8・16 エルヴィス・プレスリー氏死去
11・20 エジブトのサダト大統領がイスラエルを訪問し、イスラエル国家を認める
12・5 アラブ5国がエジブトと断交
□音楽・映画
ジョージ・ルーカス『スターウォーズ』、スティーヴン・スビルパーグ『未知との遭遇』が米公開。
リタ・クーリッジのアルバム『Anytime...Anywhere』が大ヒット
セックス・ピストルズ『勝手にしやがれ』がヒット。
◇日本
沢田研二『勝手にしやがれ』がヒット。
ピンクレディーが大ヒット曲を連発。
ジョン・レノンが家族で来日。東京・軽井沢・北海道・京都で約5ヶ月間過ごす。=ショーンが5歳くらいになるまで音楽活動はしないだろう=と会見で語る。
◇モータウン
スティーヴィ・ワンダー『キー・オブ・ライフ』は、'76年度のグラミー賞を総なめにする。
コモドアーズのバラッド『イージー』が大ヒット※しかし、世間の見方がライオネル・リッチーを悩ますことになる。
マーヴィン・ゲイ『ガット・トゥ・ギヴ・イット・アップ』が全米1位獲得。
■1977年とは(個人的な関心事)
バブルガム・ソウルからアダルトへ
ジャクソンズがエピックに移籍してからのアルバム2作品はギャンブル&ハフのプローデュースによるものですが、アダルト路線ってことになるのかな・・・
個人的には次作の『デスティニー』からが好みです^^;
マイケルは'80年前後に各地のインタビューで頻りに答えていたのが〓…音楽にレッテルを貼るのは嫌なんだ…〓(長文なので前後を省いてます)と人種差別を連想させるとして、どんなものに対してもレッテルを貼るべきでないと、発してました。
1978年【その時代と音楽】
ザ・ジャクソンズのメンバーは、自らが初めてのソングライティングとプローデュースを手がけた記念すべきアルバム『デスティニー/今夜はブキー・ナイト』を発表。マイケルの才能が発揮された。
■世界では
5・20 成田空港が開港
11・18 ガイアナ人民寺院で集団自殺
12・7 大平正芳内角発足
□音楽・映画
映画サタデー・ナイト・フィーバー('77年公開)のサントラが大ヒットし、世界的にディスコ・ブーム&ビージーズの偉業
ロッド・スチュワート『スーパースターはブロンドがお好き』が大ヒット。シングル“アイム・セクシー”は日本でもオリコンNo.1に!※この曲はブラジル人歌手の曲を盗作したと話題となる。(Wikipedia参考)
【ザ・フーのドラマー:キース・ムーン氏死去】
【シェリル・リン『ガット・トゥ・ビー・リアル』が大ヒット!】
ビリー・ジョエル『ニューヨーク52番街』全米アルバム・チャート1位を記録。(後に世界初のCD?)
◇日本
ビリー・ジョエルが初来日。
ジョン・レノンが昨年に続き家族と来日し、都内を中心に3ヶ月間過ごす。
サザンオールスターズがデビュー
◇モータウン
【マーヴィン・ゲイ『離婚伝説』リリース。詳細は何れテーマ:モータウンな話で!】
コモドアーズのバラッド路線を決定づけた“永遠の人へ捧げる歌”が全米1位獲得。
■1978年とは(個人的な関心事)
モータウンはブロードウェイ・ミュージカル「ウィズ」を映画化にし、ダイアナ・ロスとマイケル・ジャクソンが共演。
この映画で音楽を担当していたのが、クインシー・ジョーンズでした。
クインシーの圧倒的な音楽知識とマイケルの未知なる可能性を秘めた能力、年齢的にも最高のタイミングで二人は出会ったように思いますね♪
直ぐに友人関係になり、アイデアを出し合える仲になったそうです。
そう言えば、スティーヴィ・ワンダーがプレッシャーに潰されかけた時期にクインシーが励ました話がありました。クインシーはアーティストの気持ちを感じ取り、信頼を掴む能力も優れているように思います。
1979年【その時代と音楽】
Produced by Quincy Jones
Co-Produced by Michael Jackson
エピックは当初クインシーを迎えるのは反対でした…マイケルは自分の考えを押し通し、マネージャーも解雇(パパ・ジョー)。
'70年代の終わりを告げる作品は誰にも制限されず、自らのアイデアで作ったもの。マイケル・ジャクソンの一つの夢がこのアルバムで叶えられたようです。
共演したアーティストや参加ミュージシャンも豪華でしたね♪
■世界
2・11 ホメイニ師中心にイラン革命
5・4 サッチャーが英初の女性首相に
12・27 アフガニスタンにクーデターが起こり、ソ連軍が介入
*カンボジアのポル・ポト体制崩壊
*スリーマイル島原子力発電所、放射能漏れ事故
*ソニー・ウォークマン発売
□音楽
ブロンディ『ハート・オブ・グラス』がヒット。vo.デボラ・ハリーはセックス・シンボルに。
ドナ・サマーはヒット曲を連発し、ディスコ・クイーンに。
セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスは21歳という若さで死去。
◇日本
ジョン・レノン家族、3度目の来日。軽井沢にあるヨーコの別荘で1ヶ月間過ごす。
YMO『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』でブレイク。
◇モータウン
スティーヴィ・ワンダー『シークレット・ライフ』発表。世間の評価は真っ二つに分かれた。ハービー・ハンコックはその冒険心をたたえ、スティーヴィも音楽的進化の1つとして正当化したが、最悪のセールスに終わった・・・
コモドアーズのバラッド『スティル』『セイル・オン』が大ヒット!
ビッグ4により録音『ポップス・ウィ・ラブ・ユー』が発売。
■1979年とは(個人的な関心事)
ロックシーンやACには触れませんでしたが…m(_ _)m
私が洋楽を聴き始めたのがこの年からなので、とても想い入れが強いです。
町中にダンス・ナンバーが溢れ、極上のバラードが一息つかせてくれる。。こんなパターンが好きですね♪
この年くらいから、'60年代から続けて大活躍したアーティストたちに代わり、80年代的傾向の音楽がヒット・チャートを賑わす。マーヴィンは精神的に落ち込み、ダイアナは自分自身を見つめ直す時期に入る。スティーヴィも勢いをなくした・・・
大活躍した、コモドアーズのライオネル・リッチーと若きマイケル・ジャクソン。そしてクインシー・ジョーンズが'80年代洋楽の前半をリードする中心人物となっていきます。彼らの一つの集大成が'85年の『ウィ・アー・ザ・ワールド』
1970年代【その時代と音楽】
このテーマ、ラストですが
今回もモータウンの周辺に偏ってしまいました・・・m(_ _)m
'70年代初頭はジャクソン・ファイヴがモータウンから大活躍し、なかでも注目されたのが、ちびっこマイケルでした。
ジャクソン・ファイヴは色んなスターに影響を受け、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのスタイルもそのひとつです。
彼らが活躍した時期にモータウンでヒット曲を連発させた男ノーマン・ホイットフィールド(プロデューサー)も、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの音楽を徹底的に研究していたそうです。
'70年代前半から中期はマーヴィン・ゲイやスティーヴィ・ワンダーの社会的コメントを込めたアルバムが発表され、特にスティーヴィ・ワンダーの活躍が目立ちましたね。
そして'70年代後半は世界的なディスコ・ブームが訪れました。
今回もモータウンの周辺に偏ってしまいました・・・m(_ _)m
'70年代初頭はジャクソン・ファイヴがモータウンから大活躍し、なかでも注目されたのが、ちびっこマイケルでした。
ジャクソン・ファイヴは色んなスターに影響を受け、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのスタイルもそのひとつです。
彼らが活躍した時期にモータウンでヒット曲を連発させた男ノーマン・ホイットフィールド(プロデューサー)も、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの音楽を徹底的に研究していたそうです。
'70年代前半から中期はマーヴィン・ゲイやスティーヴィ・ワンダーの社会的コメントを込めたアルバムが発表され、特にスティーヴィ・ワンダーの活躍が目立ちましたね。
そして'70年代後半は世界的なディスコ・ブームが訪れました。
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| ウィズ |
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| オフ・ザ・ウォールより |
2013年5月6日月曜日
1962年【その時代と音楽】
1962年の初頭 マネージャーのブライアン・エプスタインはテープを抱えロンドン中を あちこち歩きまわっていた
そして ジョージ・マーチンへ売り込みが成功し'62年10月5日「ラブ・ミー・ドゥ」で※ザ・ビートルズはレコード・デビューを果たす
(米)4・25米がクリスマス島で大気圏内核実験
(米)8・5マリリン・モンロー死去
(米)10・22JFKはキューバ海上封鎖を声明(キューバ危機)
□音楽
※ロンドンでザ・ローリング・ストーンズが結成され
アメリカではザ・ビーチ・ボーイズ「サーフィンUSA」がヒットし 全米でサーフィンが大流行
日本では中尾ミエ「可愛いベイビー」がヒット
※そしてモータウンではリトル・スティーヴィ・ワンダーがレコード・デビュー果たす
◆1962年とは
イギリスでザ・ビートルズとザ・ローリング・ストーンズが産声をあげ
アメリカではリトル・スティーヴィが登場
◆その後
ビートルズやストーンズは全米制覇
スティーヴィはモータウン・レヴューの一員として英に大歓迎される
彼らは当然 お互いを意識する存在となっていきます
つづきは 前の投稿 へ 》》
1963年【その時代と音楽】
1963年1月ビートルズはセカンド・シングル「プリーズ・プリーズ・ミー」発売
英国で初の1位(メロディ・メーカー誌)を獲得し一躍トップ・アイドルに
■1963年 世界では
4・27 キューバのカストロ首相がモスクワを訪問し 社会主義圏に属する声明
8・21 南ベトナム全土に厳戒令
8・28 米で人種差別撤廃・雇用拡大を要求する“ワシントン大行進”
11・22 ケネディ大統領暗殺される
12・8 力道山が刺され15日死亡
□音楽
※ローリング・ストーンズは「カム・オン」(チャック・ベリーの曲をカヴァー)でレコード・デビューを果たす
シレルズ/クリスタルズ/ロネッツなどガール・グループが米で大流行
ボブ・ディランが「風に吹かれて」で時代の寵児に
坂本九「スキヤキ(上を向いて歩こう)」が全米1位の快挙
※チャック・ベリー釈放される
※モータウンではリトル・スティーヴィ・ワンダー「フィンガー・ティップスPart2」が全米1位を獲得
マーサ&ザ・ヴァンデラス「ヒット・ウェーヴ」が大ヒット
■1963年とは(個人的な関心事)
ビートルズやローリング・ストーンズも影響を受けたチャック・ベリーが再び注目を浴びる
アメリカでの公民権運動の高まりとケネディ大統領の死
公民権運動はこの年に突然始まった訳ではないですが もっとも不満が爆発し当時アメリカ史上人権に関する最大のデモとなりました
*リンカーン記念堂ではオデッタ、ジョーン・バエズ、ジョッシュ・ホワイト、ボブ・ディラン、ピーター・ポール&マリーなどが集結し 集まった群衆を楽しませ、マリー・アンダースンは「主は世界をその御手に」を歌いマヘリア・ジャクソンは「なぐられ、ののしられても」を歌った。[黒人差別とアメリカ公民権運動:著ジェームス・Mバーダマン参考]*
ちなみに公民権運動が最初に成功した例として
1955年のローザ・パークス(女性)が人種隔離法違反による逮捕がきっかけとなった
モンゴメリーのバスボイコット運動(忍耐の382日)だと言われています
その後アフリカ系アメリカ人の苦境や社会への怒りが歌詞に使われ
多くの白人に聴かれるようになり
そして全世界へ届き始めたのは1970年代に入ってからではないでしょうか…
1964年【その時代と音楽】
デビューして僅か1年後の時期を振り返り
「……ミュージシャンとしてのビートルズはこの時に死んだんだ。そしてずっとあと、僕たちは技術的に有能なレコーディング・アーティストになっていった。ミュージシャンとレコーディング・アーティストは全く別物だから。」(ジョン・レノン1970年のインタビューより)
□音楽
1964年マネージャーのブライアン・エプスタインはアメリカに向かっていた
それまで全く彼らを相手にしていなかったアメリカ最大手キャピタル・レコードは
ビートルズのヨーロッパでの活躍に驚き契約
そして発売したシングル「抱きしめたい」は2月1日全米1位に
2月9日「エド・サリバン・ショー」に出演すると視聴率72%を記録
その2日後には初の全米公演を行う
4月の米ビルボード・チャートではシングルすべて上位5位を独占する快挙となった
■1964年 世界では
7・2 米で新公民権法案成立
8・2 米駆逐艦が北ヴェトナム魚雷艇に攻撃されたと発表(トンキン湾事件)
8・4 米軍が北ヴェトナム爆撃を開始
10・1 東海道新幹線開業
10・10 東京オリンピック開幕
10・15 ソ連コスイギンが新首相に
11・3 米大統領選でジョンソンが勝利
11・9 (日)佐藤栄作が新首相に
□音楽
英ではローリング・ストーンズがファースト・アルバム「ザ・ローリング・ストーンズ」を発表し「ウィズ・ザ・ビートルズ」を蹴落とし12週連続1位を記録
イギリス・ツアーではリトル・ウォルターが参加
そしてビートルズに遅れること8ヶ月「エド・サリバンショー」に出演した
その時の出演アーティストはチャック・ベリー/マーヴィン・ゲイ/ジェームス・ブラウン/スプリームズ/マーヴェレッツなど
プレッシャーのなか最高のステージでジェームス・ブラウンにも認められる
※エタ・ジェームスがライヴ・アルバム「ロックス・ザ・ハウス」を発表
モータウンでは
マーサ&ザ・ヴァンデラス「ダンシング・イン・ザ・ストリート」全米2位
ザ・スプリームズはこの年3曲ものNo.1シングルを放ち ガール・グループのトップに
メアリ・ウェルズ「マイ・ガイ」が全米1位を記録
その後移籍
日本では 寺内タケシとブルー・ジーンズなどを中心にサーフィン・ブーム
■1964年とは
“ブリティッシュ・インヴェンション”
ビートルズやストーンズ以外にもアニマルズ/デイヴ・クラーク・ファイヴなど英ロック・バンドが米で大旋風
ストーンズもビートルズもモータウンのサウンドを研究していたもよう
ただモータウンもガール・グループを中心に負けていない
混迷の時代ではあるが 音楽は実に楽しそう
1965年【その時代と音楽】
1965年6月ビートルズにMBE勲章(メンバー・オブ・ブリティッシュ・エンパイア)が贈られることが決まる
勲章授与について当時イギリスでは物議をかもしました
■1965年 世界では
2・7 米軍機の北爆開始
2・14 ソ連コスイギン首相が訪朝し金正成首相と北ヴェトナム支援の共同声明
2・21 米黒人運動の指導者マルコムXが暗殺される
3・19 ソ連ヴォスホート2号のレオーノフ中佐が人類初の宇宙遊泳
4・17 ワシントンでヴェトナム即時停戦・米軍撤退の1万人デモ
8・11 米ロサンジェルスのワッツで黒人暴動。死者34人、逮捕者4000人弱
9・1 インドとパキスタン両軍がカシミールで交戦し、印パ紛争始まる
11・27 ワシントンで数万人によるヴェトナム反戦平和行進
12・15 米ジェミニ6号と7号が初の宇宙ランデブーに成功
□音楽
ローリング・ストーンズ「サティスファクション」が英米で大ヒット
ボブ・ディランがエレキ・ギターを使用しフォーク・ロックを開始。ニューポート・ロック・フェスティバルでは罵声を浴びてステージを降りる
日本)加山雄三が映画『エレキの若大将』と挿入歌「君といつまでも」で人気爆発
モータウンでは
テンプテイションズ「マイ・ガール」やフォートップス「アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ」がそれぞれ全米1位獲得
ジュニア・ウォーカー&オールスターズ「ショットガン」が大ヒットするなど
この年のモータウンも勢いがありモータウン・レヴューは英国で大歓迎され
驚きはイギリス・ファンの間でザ・ファンク・ブラザーズの存在が認識されていたこと
■1965年の個人的な関心事
米国内では反ヴェトナム戦争や女性権そして公民権運動の高まりのなか
とくにアフリカ系アメリカ人の差別撤廃運動がモータウンのミュージシャンたちにも期待されていたはず
しかしモータウンの社長はこのような問題を音楽に取り入れることを徹底して嫌っていました
(媚びる=裏切り)の批判を上手くかわし
若いミュージシャンたちの感情を抑えたことも驚きです
ただ 数年後には誰にも抑えることができなくなりますが・・・
1966年【その時代と音楽】
1966年イギリスの『イヴニング・スタンダード』がジョンのインタビュー記事を掲載しキリスト発言の内容が物議をかもした
さらに この年に行われたフィリピン公演は最悪の状況に
■1966年 世界では
2・3 ソ連ルナ9号が月面軟着陸
2・4 全日空機が東京湾に墜落。乗客・乗員133人全員が死亡
2・24 ガーナで陸軍のクーデター
5・16 中国で文化大革命始まる
6・28 アルゼンチンで軍部の無血クーデター
8・18 中国の天安門広場「文化大革命勝利祝賀」で紅衛兵ら100万人集会
10 サンフランシスコに数千人のヒッピーが集合し“ラブ・イン”を開催
□音楽
ザ・ローリング・ストーンズはこの年 初のベスト盤/初の全曲オリジナル・アルバム/初のライヴ盤と発表 オリジナル・アルバムからは「黒くぬれ!」が大ヒット
ビーチ・ボーイズ「ペット・サウンズ」発表
モンキーズがデビューしアイドルに
エリック・クラプトンがクリーム結成
ジミ・ヘンドリックスがロンドンに渡りエクスペリエンスを結成
日本では マイク真木「バラが咲いた」が大ヒットし、日本でフォーク・ブームが始まる
ビートルズ来日公演(日本武道館)
モータウンでは
フォートップス「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」が全米1位
スティーヴィ・ワンダー「アップタイト」が大ヒット
■1966年個人的な関心事は
やはり公民権運動になります
この年にスティーヴィ・ワンダーのヒット曲に“太陽のあたる場所”と“風に吹かれて”があります
“太陽のあたる場所”はくじけずに頑張ろう
というようなニュアンスの希望あるメッセージ・ソングですが
一方“風に吹かれて”はご存じのプロテスト・ソング
前回にも触れましたがモータウンの社長は
このような抗議的メッセージが込められた曲のリリースを嫌っていて
とくにスティーヴィにはプロテスト・シンガーにはさせないと語っていました
ですからシングル発売は異例なこと…(追記:カヴァーだから許されたのかも…?)
※このテーマの記事は、やや駈け足で記事をUPしたいと思いますそれに“重要な人物”を何人もスルーしてますが^^;また違うテーマで!
1967年【その時代と音楽】
1967年8月ビートルズのマネージャーブライアン・エプスタインが死去
ビートルズは彼を失ったことでメンバー間の対立が表面化し解散に向かったと言われている
■1967年 世界では
6・5 イスラエルとアラブ諸国との間で第3次中東戦争勃発
7・17 ジョン・コルトレーン(音楽家)死去
10・9 チェ・ゲバラ死亡(処刑)
※12・10 オーティス・レディング死去(飛行機事故)
□音楽
サイケデリック・ブームのピーク。米ではグレイトフル・デッド、ジェファースン・エアプレイン、英ではピンク・フロイドなど
日本ではグループ・サウンズが流行し、ブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」が大ヒット
モータウンでは
※テンプスの「雨に願いを」やグラディス・ナイト&ザ・ピップス「悲しいうわさ」がそれぞれ大ヒット
スティーヴィは「愛するあの娘に」をリリース
マーヴィン・ゲイ&タミー・テレル「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」がデュエット初のヒット
7月
モータウン・ヒッツビル・スタジオ周辺では黒人暴動(デトロイト暴動)が起きた年でもあります・・・
■1967年 個人的な関心事は
モンタレー・フェスティバルの出演がきっかけとなり
メンフィス・サウンドを全米に知らしめたオーティス・レディングが印象的(白人にも好かれた)
残念ながらオーティスはこの年の暮れに飛行機事故により亡くなります
26歳だったようです・・・
モータウンはこの年 結果的にそれなりのヒット曲を送り出しています
サイケデリック・ブームに乗り遅れた感がありましたが
そこに現れたのがノーマン・ホイット・フィールド(プロデューサー)
モータウンにとっては重要な人物となります
1968年【その時代と音楽】
ビートルズは1968年5月に自分たちの会社アップルを設立
グループを組織立て ひとりひとりが独立したアーティストになれるようにしていったが
迷走とソロ活動の1年となった
■世界では
1・5 チェコスロヴァキアで自由化が始まるも短命に終わる(プラハの春)
1・15 米原子力空母エンタープライズ寄港阻止の中核派学生が機動隊と激突
2・20 静岡県清水市で近嬉老事件
3・8 ポーランドのワルシャワで学生が警官隊と衝突
4・4 マーティン・ルーサー・キングJr.牧師がメンフィスで撃たれ死亡。その後全米各地で暴動が発生(125都市)
5・3 ド・ゴール政権打倒主張の学生と警官の乱闘を発端にパリ5月革命始まる
6・5 米大統領選候補のロバート・ケネディ(元大統領の弟)が撃たれ 翌日死亡
11・5 米大統領選でニクソンが当選
12・10 東京府中市で3億円事件
□音楽
マイク・ブルームフィールド、アル・クーパーらが「スーパー・セッション」発表
ザ・バンドがアルバム・デビュー
フォーク・クルセダース「帰ってきたヨッパライ」がヒットし、アングラ・ブーム
モータウンでは
テンプスが衝撃の「クラウドナイン」発表
これまでのヴォーカル・コーラスからサウンドを全面に押し出し
スライを意識した曲はノーマン・ホイット・フィールドがプロデュース
マーヴィンもようやく「悲しいうわさ」をリリース
マーヴィンにとって最大のヒット曲となる
この曲は元々スモーキー・ロビンソン&ミラクルズが最初に録音し
続いてマーヴィンそして グラディスナイト&ザ・ピップスと録音
最初にリリースした グラディスナイト&ザ・ピップスが'67年にヒットさせた曲
その時代の変化に上手く対処したノーマンによるプロデュースです
マーヴィン&タミーの「エイント・ナッシング・ライク・ザ・リアル・シング」「ユアー・オール・アイ・ニード」がそれぞれ大ヒット
プロデューサーチームH=D=Hがモータウンを去る
■1968年の個人的な関心は
やはり キング牧師が凶弾に倒れた日のこと
とくにキング牧師と親交の深かったJ・ブラウンやマヘリア・ジャクソン
そしてベリー・ゴーディJr.にモータウンのミュージシャン達など書くことがたくさんありすぎますので
また別のテーマで書きたいと思います
そのキング牧師が凶弾に倒れた場所メンフィスにはスタックス・レコードがあり
その衝撃はダイレクトに伝わりました
スタックスは当時 黒人と白人が強力しあい仕事をしていた会社で
キング牧師の理想とする世界があった場所
この事件以降 黒人と白人との信頼関係にすきま風か吹いたと言う話も・・・
またキング牧師の暗殺直後に暴動が発生することを予想したJ・ブラウンは
平静を保つようメッセージを送り続けた
1969年【その時代と音楽】
1969年は(ロックが主役)
□音楽
ポール・マッカートニーがビートルズ脱退を表明したのは1970年4月ですが(法的に解散したのは1975年1月)
1969年1月には
以前よりポールと不仲であったジョージ・ハリスンが脱退ほのめかし
9月にはジョン・レノンがビートルズ脱退を伝える
ビートルズがバラバラになったのは“1969年”となるのか・・・
■1969年のアメリカそして日本では
(日)1・18~19東大安田講堂事件
(米)5・14ヴェトナム和平案を発表
(日)6・29新宿西口フォーク・ゲリラ集会7000人を動員するが道路交通法を理由に機動隊が排除
(米)7・20アポロ11号月面着陸
(米)10・15全米各地でヴェトナム反戦行動
(日米)11・21日米共同声明で'72年の沖縄返還を確認など
□音楽(訂正及び追記)
レッド・ツェッペリン、キング・クリムゾンがデビュー作を発表
ローリング・ストーンズからブライアン・ジョーンズが脱退し、7月に変死。後任ギタリストはミック・テイラー
8・15~8・17に行われた愛と平和の祭典ウッドストック・フェスティバルが開催されたが
その僅か4ヶ月後には「オルタモントの悲劇」が起きたのもこの年・・・
モータウンではダイアナ・ロスがザ・スプリームズを去り
モータウンの要の一つベニー・ベンジャミン(ドラマー)が交通事故により他界
明るいニュースと言えば
ジャクソン・ファイブがモータウンから
「帰ってほしいの」をリリース 翌年いきなり全米No.1に!
その後もヒット曲を連発し一躍スーパースターに!!
日本では いしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」が大ヒット!と
1960年代後半は世界中が揺れましたが
年表で見ると'69年も大変な年でした
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