2013年5月14日火曜日
セシルとマゴーレフ
70年代の傑作アルバム「キー・オブ・ライフ」のリリースが遅れたのは
ひとつにはスティーヴィーが完璧を求めたこともあるが
前作「ファースト・フィナーレ」発表後
これまでスティーヴィーの成功を支えた
共同プロデューサーであったマルコム・セシルとロバート・マゴーレフの2人は
スティーヴィーに群がる連中や外圧にうんざりし解散することになり
プロジェクトには参加していなかった
スティーヴィー1人でプロデュースする事になった「キーオブ・ライフ」
当初のタイトルは
ファースト・フィナーレ2
(We Are Seeing A Lot,Let's See Life The Way It Is)
ジェフとスティーヴィー
👤[コール]
ワンダーさんがトーキング・ブックを発表した後にベックさんと揉めたらしいね
あの大ヒット曲「迷信」の件で!
当初ベックさんは別の曲を気に入り 演りたかったらいしけど
ワンダーさんはダメだと断って“迷信”を書いたらしいんだ
自身のアルバムに入れることも伝えていたんでしょう・・・
あれっていったいどう言うことだったんだろう?
👤「レスポンス」
おぉ~知ってる知ってる!
ジェフ・ベックは“迷信”を完全に貰ったと思ったんやろ
そしたらスティーヴィー・ワンダーが先に発表して大ヒットしたもんやから
「あの野郎」とか「締め上げてやる」とか悪態をついたって話やん
なっグルーブ!
👤「グルーヴ」
・・・(^_^;)グルー[ヴ]ですから
さて このエピソードの真実はどこに・・・
元々スティーヴィーは「メイク・ユア・ベイビー」のベック・バージョンを作り
ベックに提供することで同意していたが
気が変わったようですね
スティーヴィーが自身のアルバムで発表したくなったから
代わりに“迷信”をベックに勧めてシングルで使うことを承諾
スティーヴィー曰く“迷信”のアイデアを
スティーヴィーが提供したってことらしいです
当時ベックの言う分は違っていて
スティーヴィーのスタジオに訪問した際に
ドラムで遊んでいて迷信のグルーヴが生まれるきっかけを与え
そして迷信は完全に譲って貰ったと言っている
・・・
スティーヴィーは どうやらベックに迷信を譲ったが
ベック・バージョンを聴いて凄く可能性を感じ
自分で手掛けようと思ったらしいのです
ただベックがリリースすることも予測していたものだから
第一シングルカットは“サンシャイン”にしたいと考えていた
そう ベックの後に発表する方が得策(礼儀)だと
しかし シングルのリリースはモータウンに権限があり
会社は“迷信”を気に入りシングルカットに踏み切ってしまう
その経緯を知ったベックのコロンビア・レコードも不快感を示して
かなり気まずくなったとか(^^;;
スティーヴィー自身もトラブルは承知だったが
ベックの為にレコーディングしたクラヴィネット部分も使われず
正直ベックのバージョンは物足りなかったのも事実で
言葉の行き違いもあったりして
どちらも一時 心を傷めたけれど
ジェフもスティーヴィーも問題を引きずるほどバカではない
スティーヴィーがお詫びに曲を提供するなど
その後和解して良い関係を続けています
2013年5月13日月曜日
リトル・スティーヴィー・ワンダー
あれは確か1963年の春だったと思うよ
彼はまだ13歳になっていなかったから
実は その前から評判になっていたんだ!
リトル・スティーヴィーのステージが面白いってね
ベリーゴーディーは彼の才能を認めてはいたが
シングルを発表してもセールスが伸びないことに頭を悩ましていたらしいんだ
だけどモータウン・レヴューのステージでは観客を常に盛り上げていた
その姿を見て決断したんだろうね
シカゴのリーガルシアターのライヴをレコーディングしようと
もちろん当時では考えられないことさ
とてもリスキーな試みだったと思う
でも これが あたっちゃってさ!
アメリカのポップチャートのトップに3週間もいたんだ
モータウンにとっても「プリーズ・ミスター・ポストマン」に次ぐナンバーワンシングルってこと
これが凄いってことがわかるだろう?
えっ?!あっ ごめん ごめん
曲名を言ってなかったね(^^ゞ
それがフィンガーティップスさ!
しっとるよ!と 言うか コールゥ
関東にいってから大阪弁を忘れたんちゃうか!?
やめて~「〇〇さ」って言うのん!
でっ何やったっけ!?
そうそう そのフィンガーティップス
録音時間が長すぎて シングル発売するにあたって
確かA面とB面に分けたんとちゃうん?
そのステージのエピソードも面白ろかったみたいやな
俺は あんまし 上手く説明でけへんからグルーブ頼むわっ!
ハイハイわかりました(^^;)
グルー[ヴ]ですけどね・・・
私も横浜に10年くらい住んでいましたので
時々変な関西弁になりますが(#^.^#)
だいたいは[コール]さんが殆ど言ってくれましたね
そのシングル発売ではパート1をA面に
そしてアンコール部分をパート2としてB面にしました
録音時間が長くて分けたようですね
司会者のMCから録音されています
そしてボンゴを叩きながら大人顔負けのスティーヴィ-のMCは観客をあおりながら
「カモン カモン イエーイ!」
バックにドラムが加わり
スティーヴィーはハーモニカ・ソロ
ハーモニカも絶好調で我を忘れたんでしょうか
延々ハーモニカに軽めのドラム
さらにはトランペットも加わりますが
「エブリバディ セイ イエーイ!」
ふたたび観客をあおります
ここからは ゴスペル・ロックになり
ノリノリのスティーヴィー
自分の持ち時間なんて知ったこっちゃないとばかりに
なかなかステージをやめようとしない
戸惑うバック奏者に焦る司会者
スティーヴィはノリノリで観客も大興奮!
そしてスティーヴィーは遊び半分で
ハーモニカで「メリーさんのヒツジ」ってやり終えると
あっオチがついた
バックもここぞとばかりに演奏を終わらせようとします
司会者も声を張り上げ終了のあいさつ!
ステージのバックでは次の出演者である
メアリ・ウェルズのバンドが慌ただしくセッティングに入っています
でも興奮状態のスティーヴィ-は ハーモニカをやめようとせず
ふたたびステージ中央に!!
いやいや 困ったのはウェルズのバンド!!
キーなんてわからず
しばらくスティーヴィーと観客は大興奮状態が続きましたが
たまらず司会者は更に声を張り上げて無理矢理に
「リトル・スティーヴィー・ワンダーでした
ってこんな感じのステージ録音が全米で人気となりました♪
その後 スティーヴィーが大人になった頃に
この時の様子を振り返りTV番組で再現?しているVTRも面白いですよ(^-^)Fingertips(Live in New York)YouTube
リトルとは さよなら
リトル・スティーヴィーはモータウンのマスコット的存在でした
ベリーゴーディーJr.も彼の潜在能力をかっていたし
モータウンレヴューでのライヴパフォーマンスも受け
イギリスでも人気はあったのですが
フィンガーティップス・パート2以降しばらくヒット曲もなく
「彼の声は変わりつつあるし、背も伸びてきて新しい衣装も買わないといけない」
「マイケル・ジャクソンが彼の代わりになるのでは?」
「スティーヴィー・ワンダーは切るべきだ」などと
モータウン内部ではお払い箱になる危機だったようです
その一方で彼には才能があると認める人達もいて
これまでスティーヴィーの師匠的存在で教育係り兼プロデューサー
クラレンス・ポールもそのひとりでしたが
クラレンスの親心で保守的だった為か
モータウンはスティーヴィーの独自性を出すために
クラレンス・ポールからヘンリー・コスビーに制作を引き継がせたのです
ある意味スティーヴィーにとってもチャンスが与えられたわけです
ヘンリーはスティーヴィーのアイデアを生かすため
コンセプトとリズム・パターンを変え
ベニー・ベンジャミンのドラムが印象的な
“アップタイト”をリリース
この曲は見事R&BチャートNo.1に!
初のスタジオ録音によるビッグヒットとなりました
この曲以降もクラレンス・ポールはもちろん
他のプロデューサー達とも仕事が出来るようになると
頻繁にスタジオに呼ばれ
レコーディングされた曲がヒットを連発していきます
変声期も乗り越え転機となった
【Uptight(Everything's Alright)】1966年全米3位
祈り
「奇跡を願うしかありません。あなたと息子さんに神のご加護を。わたしたちはどうすることもできないのです。」(医師の言葉)
ルラは道で、盲目の物ごいが道行く人に、施しをねだるのを見たことがあった。
夜になると、母を亡くしたスティーヴィーが歩道に身を丸めている姿が目に浮かび、パニックに襲われる。
そんな時、ラジオから、希望の言葉が・・・。神の僕(しもべ)である男が、サギノーにも来るという!
※スティーヴィー物語(モータウンな話)でも触れましたが母ルラさんのサギノー時代は悲惨なものでした
ルラさんの夫ジャドキンズ氏のことや 生まれてきた子供の目が見えないこと・・・
全く想像も出来ないことが起き
ルラさんは自らを責め苦しんだそうです
サギノーにきてからというものは
それこそ神にすがる他ないのかもしれません・・・
似た境遇であれば どこの国の親もやるように
ルラさんも我が子が癒され少しでも良くなるよう
色んな医師を訪ね 神に祈り 望みを捨てずに走り回る
そして映画の世界のような話ですが
ラジオで知った有名な説教師のところにも足を運びました
それは説教師が壇上に上がり説教が始まると
選ばれた者だけが説教師に体に触れて貰おうと駆け寄る異様な光景
群衆のなかルラさんはスティーヴィーを高く抱え上げ
無理やり前に進み「私の赤ちゃんは目が見えないんです!」と繰り返し叫ぶと
横にいた白人が「この赤ちゃんは目が見えないんだ!」と繰り返し唱和する
人々のかたまりが左右に分かれ 道をあけてルラさんを壇上に上げる
説教師は赤ん坊の目に両手を置いて「見えるようになりなさい!全能の神の名において………」と
後にスティーヴィーは
「みんないろんなことをやってくれたよ」
そして苦しげに語り
「でも死んだ人間が再び生命を与えることが出来ないように、だめなものはだめなのさ。僕が自分で医者に聞きに行った時に、彼らは、出来る限りの方法をやっている。何か新しい方法が見い出さればそれもただちに試しているんだ。なんて言ってたよ」
デトロイトに移ってからのことだ
これも想像出来なかったこと
道行く人が「あの子を見て! あの子には輝きがある。あんな子は見たことがないわ」
この子 人とは違う 神秘的な存在
そう思えるまでに
スティーヴィ・ワンダー物語 母ルラ編
親戚に付き添われて世界の果てのような土地に向かっていた女性
彼女の名はメアリと言い十代で未婚の妊婦です
お腹の子の父親(ノーブル・ハーダウェイ)には期待出来ず
年老いた貧しい両親の家にも戻る気もなかった
しかし誰かの助けを必要としていたのです
その手を差しのべてくれたのは叔父のヘンリー・ライトとその妻ヴァージだった
ヘンリー家は貧しい生活ながらも安定しており
メアリがこの家にやって来たのは自然の成り行きだったようです
そして2ヶ月後に赤ん坊を出産します
アメリカの歴史上もっとも貧しい時代の
もっとも貧しい地域の片隅で生まれた子は
ルラ・メイ・ハーダウェイと名づけられました
しかし メアリはその数ヵ月後に謝罪と言い訳と約束を残し
ルラを置いて家を飛び出してしまいます
そうしてヘンリー夫婦が代わりに家族の末っ子として明るく育てることになりました
ルラが歩き始めた場所はアラバマ州ハーツボロの郊外
長い間ヘンリーとヴァージがパパとママであると信じていたが
後に真実を知ることとなります
それでもルラには幸せな時期だったのです
しかし、この町にも長くは居られなくなり
その後 過酷なイーストシカゴ~サギノーに移り住むことになります
スティーヴィー・ワンダーの母ルラ・メイ・ハーダウェイとの物語
素晴らしい運命の待つデトロイト~ロサンゼルスまで
スティーヴィ・ワンダー物語 母ルラ編②
蛍の舞うなかをくるくる回ったり
からだを傾けて走ったり遊んだ幼い頃
ルラにはとてもお気に入りの場所と幸せな時間がありました
それは外から遊んで帰ってくると大好きなパパの隣に座り
そのかたいすねに寄りかかってみんなの歌声に耳を澄ますこと
※1930年代の話ですが、貧しい生活のなかでも、ルラはここまで幸せだった。
しかし、大好きだったヘンリーパパが農作業中に倒れ亡くなったのです…。
太陽のような存在だったヘンリーの死は、少女の未来を考えると早すぎます…。
この時ルラは10歳でした。
このあとルラは、自分の本当の父さんを知らないことに気づくのですが、それは親友との些細な口げんかからだったようです。
その後も悲しい出来事が続き、心から愛してくれたママのヴァージも亡くなり、家族を支えた長男ジェイムズまでも病に倒れ亡くなりました。
もうヘンリー家では農場が続けることができなくなり、知らない親戚たちが集まり首を振りながらルラの今後のことを話し合っていました。
誰もルラをひきとることができず、実の父親のところに向かわすことを決めたのです。
一度も会ったことのない顔も知らない父親のところへ・・・。
この時ルラは13歳。
こうしてルラは南部の貧しく孤立したブラック・ベルトから、北へ(イーストシカゴ)移動して行きます。
“北への移動”が、まだ見ぬ子供たちの運命にどう関わって来るのでしょう。
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■次回はイーストシカゴの生活からサギノーでスティーヴィー誕生までを!【ルラの心境】に迫ってみます♪
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□ルラ・メイ・ハーダウェイ(1930.1.11―2006.5.31)※伝記本ブラインド・フェイスでは1932年生まれとなってます…
□2003年9月
ルラ・メイ・ハーダウェイを中心に書き綴った
「盲目の信念/ブラインド・フェイス」デニス・ラヴ&ステイシー・ブラウン/著*丸山聡美/訳 が日本で発売
□その他にもスティーヴィー・ワンダーの初期の楽曲でライターとして参加
スティーヴィ・ワンダー物語 母ルラ編③
□イーストシカゴでの生活(簡単に)
ルラを迎えた父ノーブルと、継母との暮らしは2週間程。
元々父ノーブルはルラがメアリのお腹にいた頃、妊娠を知って行方をくらましたような男。
ルラを悪く言い、はなから面倒を見る気はなかったのです。
ルラはあとで知ったのですが、ルラの大叔母イロナ・モリスがヘンリーの死が北に伝えられると、
ノーブルに「あの子をひきとりなさい。それはあなたの義務であり、責任ですよ」と主張し、
もし上手くいかなかったら自分がルラをひきとると約束をしたのです。
そうして優しいイロナがルラをひきとり、しばらくうまくいったのですが、ルラは妊娠をします。
イロナは父親が誰であれあなたの大切な子だからと…かばってくれましたが、イロナの夫は地域の指導者で神に仕える身であり、(他にも理由があったが)ルラを許してくれずイロナも夫に従うしかなかった…。
それでも影でイロナの助けをかりて赤ん坊を産み、イロナはルラが働けるまでミシガン州サギノーに住む叔父の家で暮らせるようにしてくれたのです。
まもなくルラはミルトンを連れ、サギノー行きのバスに乗った。
※当然ルラは最初から父親と上手くいくことなんて思っていなかった
何年間もほったらかしていたのだから
継母のいぢわるなどや他にも色んなことがありましたが
ルラが苦難を乗り越えてこれたのは南部での暮らしが支えになっていたように思います
幼少期を幸せに暮らせた満足感や
家族を愛し そして愛されたという自信がルラにはあったのです
その南部での暮らしはとても貧しかったが
ルラはいつも周囲から可愛がられていました
ひとつには育ての親ヘンリーが小作人のリーダーで皆から慕われ 農場主からも信頼されていた人物であることも大きく
ヘンリーが70歳くらいの時にルラが誕生したので
ヘンリーの子供たちとルラとも歳が離れていて可愛がられたのでしょう
殆ど学校にも行っていなかったが
石投げをしたり苺を摘んだり蛍を追っかけたり
周りの小作人家族などと人びとの大きな輪のなかでの暮らして育ち
大家族のなかでは実の親子であろうがなかろうが関係ない環境でした
□サギノーでの生活
サギノーに来てからも色々な苦難が待ち構えていた。
ルラはもう二度とあんなことはしないと懺悔することも・・・。
ルラがサギノーにやって来た瞬間から皆の関心の的になった。
若くて美人でユーモアで もう南部の田舎娘ではなかったのです。
まもなくしてルラは街のごろつきカルヴィン・ジャドキンズに惹かれいきます。
この時ルラは17歳。
周りは反対しました 彼は街でも有名なチンピラで30以上も歳が離れた男なのです
しかしルラはどんどんジャドキンズに惹かれていき二人は一緒に暮らすようになり
そしてルラはこのジャドキンズとのあいだに二人の男の子が産まれます
カルヴィンとスティーヴィー
次回はこんなことになるはずじゃなかったサギノーからもっとよくなるはずのデトロイトへ
スティーヴィ・ワンダー物語 母ルラ編④
ルラにとってサギノーの生活は否定的な言葉ばかりが出てきます
こんなことになるはずではなかったと・・・
ルラはインディアナを離れたくはなかったが
ホーン叔父さんがおいてくれると言ってくれて断れる状況ではなかった
そしてジャドキンズという男を好きになる
田舎からきた世間知らずの十代の少女にとっては
ハンサムで声も素敵な魅惑的な男
しかし仕事もせずに暴力を振るう
いつかは変わってくれると希望も捨てきれずにいたのだが・・・
そしてある日修羅場となった
(この続きの内容は控えます)
そしてルラは いい仕事があると聞いていたデトロイト行きを決心します
やり直すために
デトロイトではもっとよくなるはず。
わたしにとっても、ミルトンにとっても、カルヴィンにとっても。
ちいさなスティーヴィーにとっても。
ルラ20歳
□ルラは暴力夫から逃げ出し、自立することを学び、家を買って、自分の人生と家族を守ってきた。不屈の精神と神のたすけがあれば、絶望のただなかにいる女性たちだって、きっと同じことができるはずだわと、ルラは言う。
(ブラインド・フェイスより)
□スティーヴィーは生前の父に、新しいキャデラックを買ってやった。ジャドキンズ氏はぴかぴかの車を乗り回し、最後まで大物気取りだったという。
(デニス・ラヴ&ステイシー・ブラウン/著ブラインド・フェイスより)
スティーヴィ・ワンダー物語 母ルラ編 ラスト
□デトロイトでの生活
ルラはサギノーでの修羅場のあともジャドキンズとのあいだに色々とあり すんなりといきませんでしたが
(省略^^;)
苦難を乗り越えながら魚市場で必死に働きお金を貯め
たった一人で幸運にも念願のマイホームを手に入れることができ
この時ルラは ふとパパ・ヘンリーとママ・ヴァージのいた
南部のことを思い出したそうです
みんなの歌声に満ちていた 懐かしいあの家を
愛に満ち溢れていた家族を・・・
ようやく幸せを掴めると実感したのですかね
そしてちょうどこの頃はスティーヴィーが楽器をはじめた時期でもあります
自分の部屋が出来て思う存分ドラムを叩いたことでしょう
ルラさんはデトロイトに来た当初は
スティーヴィーの目のことで 暗く塞ぎこむこともありましたが
幼いスティーヴィーの母を思いやる言葉で救われ常に前を見てこれたようです
□ルラさんは晩年ロサンゼルスで過ごしたのですが
■ある日、日曜学校のクラスで知り合ったご婦人を招き、パーティを開きました。
家の壁には、ゴールドレコードがならび、棚には、スティーヴィーと有名人の写真。メイドが厨房から焼きたてのパンを運ぶ。
話題は、教会のことや説教師のこと。
強烈な存在感を発している、スティーヴィー・ワンダーについては誰も触れなかった。
ルラ主催のパーティーだから、失礼になると…
そして、不自然な空気のなかパーティーもお開きになり、玄関で挨拶して帰っていく。
最後のご婦人は、あたりを見回して、「素敵なお家ね、すっかりごちそうになっちゃって」
ひとつだけ言ってもいいかしら……」
「なに?」
「こんなに恵まれるなんて、あなたはよっぽど“お祈り上手”なのね」
ルラは一瞬、相手をじっと見つめた。ゆっくりと、そつない微笑みを返し、「今日はどうもありがとう」と、そっとドアを閉めた。
ルラはソファに腰を下ろすと、古い怒りが蘇ってきた。
“お祈り上手”ですって?
私が“お祈り上手”?
シスター、あなたはなにもわかってない。
私のことを“お祈り上手”としか思わないのね。
息子の顔が輝いている部屋に座ったまま、追憶の熱い涙がこみあげてくるのを感じた。
(ブラインド・フェイスより参考)
□ルラさんは、生活が安定してからは、過去を水に流して、家族と和解しようと努めました。父親とはやりとりがありましたが、母親のメアリさんに連絡をとったが、それは報われなかったそうです。
(ブラインド・フェイスより参考)
マザー・サンキュー
STEVIE WONDER'Sのデビュー・シングルは1962年の“I Call It Pretty Music”ですが
(セッション・ドラマーはマーヴィン・ゲイ)
モータウンでの初録音は1961年の“You Made A Vow”
さらにタイトルを変更し
【Mother Thank You】に落ち着きました
ですが リトル・スティーヴィーには少し大人びた曲のためにデビュー・シングルを見送ったそうです
この曲は6枚目のシングルB面“Thank You (For Loving Me All The Way)”としてリリースされています
そしてモータウンでの初契約の話ですが
スティーヴィーは未成年なので
契約交渉は母のルラさんが引き受ける事になりました
交渉の間もスティーヴィーは契約の内容なんかどうでもよくて
レコーディング中であろうがスタジオ内を歩き回るなど
とにかく音楽がやりたくてしょうがない様子だったそうです
一方ルラは愛する息子の人生の一部を他人に委ねる事や支払われる手当などで折り合いがつかない為
交渉の席を立ち決裂することに
それを知ったスティーヴィーは当然不機嫌になり
自分の部屋に閉じ籠りドラムを叩きはじめ
暗くなるまで激しいパーカッションが数日間続いたそうです
静かになっても玄関で帰宅したルラの足音を聞きつけると
また強く叩きはじめるなどの抗議にでる
さすがのルラも耐えきれなく折れることを決め
motown と契約することをスティーヴィーに約束します
数日間の実力行使で疲れ果てたスティーヴィーは
息を切らして 「ありがとう ママ」…
その母ルラさんも10代の頃から すごく苦労されている方です…
神の子
「目が見えないからと言って、心の眼が欠けていることにはならない」
by スティービー・ワンダー
厳密には産まれた直後は眼が見えていたらしいのですが
早産のために52日間ものあいだ保育器の中に入れられて
酸素を多く取りすぎたのが原因で失明したらしいです…
彼が産まれた同じ日 同様に保育器の中に入れられた女の子は死んじゃったらしく
彼はのちに「生きていられただけで幸運だと思ってるよ」語っています
それに 生まれつき盲目なので彼にとっては“見えないことが普通”であって
ただ「一度一人で留守番をしていたときに恐怖から寝込んでしまったこともあったが、それ以外見えないことが不思議だとは思わなかった。」とも言ってます
母ルーラも神様が“人とは違う”子供をを授けて下さったと
神様があの子の音楽的素養の代償として視力をお取りになさったと…
時と共に思うようになれたそうです
実際にスティーヴィーは子供の頃から
近所では“神の子”と思われる程の驚くべき聴覚能力の持ち主だったようで
普通に近所の子供たちと遊んだり けんかもしたりして
たとえばテーブルの上にコインを投げて聞くゲームなどすると
音の違いで硬貨の種類を当てることなども いとも簡単だったらしいですね
こういったエピソードは後のインターヴューなどで明らかになってゆくのですが
上記のエピソードは本当だと思いますね
だいたいスティーヴィーのデビュー当時は
“天才少年”を強調するためにモータウンの広報が話を作り上げることもあり
スティーヴィー自身もユーモラスに答え はぐらかすことも(^^;)
少なくとも ご本人は眼が見えないことをハンディキャップとは感じていないと思うのですが…
アルバム「ファースト・フィナーレ」のジャケットの絵にあるように
幼年期を隠しているのは 心に傷を残していることを意味し
それが家族のことなのか その時代背景なのかはわかりません・・・
眼が見えない分 聴覚が発達していることで
“耳に入るのは何でも聴いた”と
「音楽は僕にとって世界とのコミュニケーションなんだ。」
by スティービー・ワンダー
ハーモニカ
スティーヴィー・ワンダーの音楽の原点と言えば やはり“ハーモニカ”ですよね
彼の音楽のキャリア 即ち人前で演奏したのは
学校のハーモニカ・バンドのリーダーからはじまりました
最初に手にしたハーモニカは近所の床屋のおじさんが腰にぶら下げていた飾り物だそうです
毎晩のようにラジオから流れるブルーズなどを真似て上達するようになり
その後 叔父からホーナー社のハーモニカをプレゼントされると
遥かにいろんな演奏が出来るようになったようです
このハーモニカの魅力にとりつかれたスティーヴィーは
自分でも気づかぬうちに 偉大な音楽家への第一歩を踏み出したわけですね
モータウンとの契約に至ったきっかけは
テーマ:S・ワンダー【~1971】でも触れていますが
友人のジョン・グローバーと一緒にストリートで演奏していたのが始まりです
“スティーヴィー&ジョン”といい(ボンゴとギター)
ヴォーカルはスティーヴィーでバック・コーラスがジョン
二人は50年代~60年代の曲を主にやっていたそうですが
お気に入りはマーヴィン・ゲイの曲“ミスター・サンドマン”
その後 近所で評判となり チャンスを掴むことに♪
スティーヴィー物語
スティーヴィーはとても いたずらっ子だったようですよ
ちょっとした問題を起こしています(^_^;)
契約直後のスティーヴ
「モータウンはオモチャが何でも揃っている、つまり楽器のことなんだけどね。僕は楽しくて、地下室へ行ってテープを何本か盗んでしまったんだ。たぶん僕がやったことは気づいてないと思うけどミラクルズのショップ・アラウンドの2トラックだったと思う。壊しちゃったかな。聞かれたんだよね、『スティーヴ、見なかったかい?誰かテープを盗んでったみたいなんだ。どこに行っちゃったんだろう?』って。貝のように口をつくんじゃったよ。だって契約を破棄されると思ったからね」
[1987年発行(スティービーワンダー心の愛)著者ジョンスウェンソン]より
よく紹介されている発言から短めなものを
「人生でチャンスを掴もうと思ったら、過去を振り返ってはいけない。ムーヴ・オンしていなければ……。」
「神様だと思うけど、“スティーヴ、ひと休みすることが必要だよ”とおっしゃる。僕は休まない。神様はまたおっしゃる。“休息が必要だよ”。それでも、まだ休まない。すると神様は、“お前には休息が必要だ、私が大いなる休息を与えてやろう”とおっしゃるのさ」
「僕は2、3日、霊的な世界の中で意識を失ってしまう。でも醒めた部分もあって、僕の生活にまつわるたくさんの事柄に気づかせてくれるんだ」
【僕にとって“ソウル”とは、アーティストの内側にある自分自身を表現することなんだ。フィーリングや誠実さをね。】
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