2013年5月5日日曜日

【モータウンな話】ノーマン・ホイットフィールド ①



初期のモータウンを支えたスモーキー・ロビンソンやH=D=Hなどのプロデューサーチーム


スタジオ・録音にはファンク・ブラザーズ


裏方では歌唱や振り付けなどの教師たちがいて


マナーや優雅なダンスなど


彼らの共同体制によりアーティストの育成もしました


しかし'68年にはH=D=Hプロデューサー・チームが抜け


スモーキーもまた才能が発揮されずに


ヒット曲を書けない時期となり


モータウン・サウンドは新しい時代に入って行きます


「マイ・ガール」以降 大ヒットがなかった


モータウンの看板グループである


“テンプテイションズ”


社長のベリーゴーディはテンプスの担当である


スモーキーを外し



モータウンの雑用係からスタートし


社内で頭角を表しだした噂の男


ノーマン・ホイットフィールドに任せたそうです


ノーマンは当時人気のあった


スライ&ザ・ファミリーストーンの音楽を研究し


時代と調和する音楽を目指し試すことに


すると「I Wish It Would Rain」を手始めに「Cloud Nine」など


テンプスは大ヒット曲を連発(テンプスとは後に決別)


さらにマーヴィン・ゲイ初の全米No.1ヒット曲


「悲しいうわさ」も彼のアイデアです


他にはアンディスピューティッド・トゥルースなども育てるなど


独特のサイケデリック・ソウルなサウンドは注目されました


しかし彼も後にモータウンを離れることになる


“鬼才ノーマン・ホイットフィールド”


モータウン・サウンドを支えた人物です






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