人類が直面する問題の改善を訴えた、ウィ・アー・ザ・ワールド。
発起人は、ボブ・ゲルドフですが、誘発されたライオネル・リッチーとプロモーターの提案から始まり、クインシーが承諾しマイケル・ジャクソンと共作を薦めた。
最初はスティーヴィ・ワンダーとライオネル・リッチー共作の声があがっていたが、
「スティーヴィはベストだがレコーディングの真っ最中の彼を悩ませるわけにはいかない」として、クインシーが反対したそうです。
マイケルを薦めた理由を、「当時マイケルは、たんに暇つぶしに曲を書いているような状態だった」^^;とクインシー(^^)
歴史的な夜となった。1985年1月28日のレコーディングはアメリカン・ミュージック・アワードの直後とはいえ、これほどのトップ・スターたちが集結したのも驚きですね。
マイケルはMアワードを欠席してまで、コーラスの目安となるガイド・ヴォーカルを録音し前以て準備をしていたのです。
皆が全力で協力した、この夜の記念にとアーティスト全員が互いの楽譜にサインをし合った。
では、どのようにリハーサルからレコーディングに進んだのか…
ハリウッドのA&Mスタジオに集結したアーティストたちは、アメリカン・ミュージック・アワードの直後だったからか、本来の目的を忘れかけいたようだったと…
ライヴ・エイドの発起人ボブ・ゲルドフは彼らの緊張感の無さに怒り、アフリカで起こっている惨状を語りだし、
ダイアナ・ロスはその場で泣き崩れ、皆は気を引き締めたのです。
途中はあるフレーズをめぐって白熱した議論が行われ、
ひときわ熱かったスティーヴィ・ワンダーの提案はレイ・チャールズの一言でピシャリ!と却下され、
誰にも受け入れられなかったと言うエピソードも^^;
そして録音となる直前には、スティーヴィ・ワンダーがギニーと言うエチオピア人女性を皆の前に紹介しました。
女性は祖国で見た飢餓に苦しむ現実を伝えたあと、アーティストたちの活動に対し祖国の人々に代わり感謝の言葉を述べました。
“エゴを捨てて僕らは家族になった”
〓僕らは仲間 神の子供たち 僕らが明るい明日を作っていく〓