モータウン3大ガール・グループは
スプリームズ/マーサ&ザ・ヴァンデラス/マーヴェレッツ
今回はザ・スプリームズのデビューからフローレンス・バラードがモータウンを去るまで
“モータウン成功のシンボル”と言われた時期に注目してみました
1958年デトロイト
ハイスクールの学生だったフローレンス・バラードは
学校のコーラス・グループで一緒に歌っていたメアリー・ウィルソンを誘い
さらにメアリーは教会の聖歌隊で一緒だったダイアナ・ロスを誘ったことからスタートします
その後ザ・プライメッツを結成しますが
このときのオリジナルメンバーはべティ・マグロウン(トラヴィス)を入れて4人
しかしベティはすぐに辞め バーバラ・マーティンが加入しています
※追記[7/11]他の説(ネルソン・ジョージ著モータウン・ミュージック)あり【フロー、メリー、バーバラ、べティの4人でプライメッツを結成し、べティが抜けプライムズ(後のテンプス)のエディ・ケンドリックスがダイアン(ダイアナ・ロス)をプライメッツに薦めたとなっている…おまけにモータウンに入る前からダイアンとスモーキー・ロビンソンも顔見知りだったなども(^_^;)】
活動する場所は友人のホームパーティやコーヒーハウスなどで
その地道な活動が地元で少しずつ評判となり
Lu Pineという小さなレーベルでレコードを発売されたようです
↑↑↑
('70年代に入り その当時の曲がイギリスで紹介され R&Bコレクターの間で評判になったことも・・・)
そして1960年 カナダ・オンタリオで開催されたタレント・コンテストに出場
ここで良い成績を残したことでモータウンのスカウトの目にとまったと!
彼女らの憧れであったモータウンとの契約は1961年(初期はタムラから)
同時にザ・スプリームズと改名しメンバーは3人となりました
デビュー当時はメアリーやフローレンスも
それぞれリードシンガーをしていましたが
レコードは全く売れずバックコーラスの仕事ばかりで
あとから入ったマーヴェレッツに先を越されるなど
ついたあだ名が【NO HIT SUPREMES】
☆この日付を覚えていてください
↓↓↓
“1964年の3月21日”までにチャート・インしたのはシングルス8曲中5曲で
このようになってます
( )内は最高位
……………(ー)
'62/8/18…(95)
'63/2/02…(90)
……………(ー)
……………(ー)
'63/9/07…(75)
'64/1/11…(23)
'64/3/21…(93)
初期のプロデュースの殆どはベリーさんとスモーキーでしたが
そこで社長のベリー・ゴーディJr.は
ダイアナ・ロスをリード・シンガーに固定し
プロデュースをH=D=Hに完全に任せた曲が
“1964年の8月21日”付で いきなり全米No.1ヒット
ここからザ・スプリームズの快進撃が始まる訳です!!
'64/08/21…(
'64/10/31…(
'64/12/19…(
'65/03/27…(
'65/06/12…(
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怒涛の5曲連続 全米ナンバーワンヒット
間髪入れずにリリースしているところも
さすがベリーさんですね
まだまだ こんなもんじゃありません!!
'65/09/04…(11)[悲しみがいっぱい]
'65/11/20…(
'66/02/19…(5)[二人だけの世界]
'66/05/28…(9)[乱れるハート]
'66/09/10…(
'66/11/19…(
'67/03/11…(
'67/05/13…(
1964年のたった数ヶ月の間にサウンドを一変させたことで
全世界を驚かせたってことです!!
“恋にご用心”の次に発売されたのが
'67/09/09…(2)“リフレクション”←この曲からダイアナ・ロス&スプリームズ名義となり
この時点ではフローレンスはグループを脱退し
その後グループは テンプスとの共演した曲も含め
全米ナンバーワンヒットは ダイアナが脱退するまで3曲ありますが
“モータウン成功のシンボル”ザ・スプリームズの全盛期は
1967年にフローレンス・バラードがモータウンを去る日まで・・・
と 私は 思いたい・・・
確かスプリームズの二枚目のシングルだと思いますが
“バタード・ポップコーン”という曲では
フローレンス・バラードがリードシンガーをしてます
移籍後のシングルでもかまわないのですが
じっくりと聴いてみたいですね・・・
左からメアリー フローレンス ダイアナ
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タムラ・レーベルからの古いレコードですが
このベスト・コレクション14曲収録されていて
そのうち13曲が全米ナンバーワンでした(^^;)
ほんとスケールの大きい ガール・グループです(^-^;;
@YouTube


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