2013年4月30日火曜日

【2010】★Love,Harmony&Eternity★



◆ラブ,ハーモニー&エタニティは


数年前に発売されたものを最近になって購入したCDです


ファンだったら直ぐに 買うべきですが


どうせレコード会社が企画したベスト盤だろう・・・


って思っていたのが大きな間違いでした



このCDの選曲を知った時は 大反省しましたね


解説にもありますが スティーヴィー自身が初めて公認するベストセレクション!


日本のファンへの愛や拘りが随所に感じられて


素晴らしいアルバムです♪


少しでもスティーヴィー・ワンダーに興味がある方にはお得です


コアなファンにとっても嬉しい選曲でしょう♪


テーマは日本側から出されたようですが


3枚組でそれぞれ「Love」「Harmony」「Eternity」


そのテーマをスティーヴィーが気に入り承諾したとか



私が思うに スティーヴィーが日本で一気に多くのファンを獲得した時期は


1982年に発表したベスト+新曲4曲収録の「ミュージックエイリアム」辺りからだと感じています
↑↑↑
根拠の数字などはありませんが・・・m(_ _)m


そして私も観ましたが この年には来日コンサートもあり


CMでは「ザット・ガール」が大々的に使われていました


以前からのファンにとってコンサートは楽しみですが


新しいファンがどっと増えたことにより


同時に寂しい気持ちになった方もいたのではないでしょうか


私のような‘ひねくれもの'はとくに^^;


CM曲「ザット・ガール」は'70年代のものとは なんか違う・・・


当時 聴くたびに首を傾げていたような気もします



話が少しそれましたが 「ラブ,ハーモニー&エタニティ」から


テーマ別に あくまでも私が感じたことを話します


かなり主観的なので不愉快に思われる方も いるかも知れません


その時はお許し下さいませ





最初のDisc1は
【Love】(恋愛、家族愛、友情)


[1]曲目がドゥ・アイ・ドゥ


先程も触れました'82年のベスト「ミュージックエイリアム」からの新曲で


日本でも大ヒットしバックの演奏がカッコ良すぎます


もちろん歌詞にも‘君への愛’がテーマ


[2]サンシャインと[3]マイ・シェリー・アモールは それぞれ'72年と'69年の曲ですが


日本人アーティストが共にカヴァーしており 特に日本で馴染みのある美しい歌が選曲されています


これはスティーヴィーのサービスでしょうか


[7]イズント・シー・ラヴリーや[8]心の愛 も日本人に受け入れやすい歌を選曲されています


このDisc1は17曲収録ですが


個人的に一番嬉しい選曲は[9]オール・アイ・ドゥですね


アルバム『ホッター・ザン・ジュライ』に収録されていた歌ですが


バック・コーラスも豪華で


なんと言ってもスティーヴィーのヴォーカルが渋い!


[12]レイトリーも日本ではお馴染みのバラード


この歌の‘愛'は失恋ですけどね(^^;)


そして驚いたのが このDiscのラストを飾る[17]哀しみの恋人達


ロック・ファンの間でも知られる曲



スティーヴィーの もと妻で 今は亡きシリータ・ライトが歌っています


名曲です



かのモータウンの社長ベリー・ゴーディーJr.は


シリータの声がダイアナ・ロスに似ているからと


ダイアナがザ・スプリームズ脱退した後に


シリータを考えていたという話がありますが


まぁ確かに似ているもののシリータの声の方がセクシーな感じですね


そしてこのベストアルバムには


シリータのヴォーカル曲が数曲含まれていて


なんだろう・・・スティーヴィーの心の内側を知りたくなりますね


そのシリータは結婚していたときに


スティーヴィーにアジアの国々の素晴らしさを熱心に教えていたという話もあります(^-^)


Disc2は
【Harmony】(社会問題と調和、デュエット)がテーマ


ここでは16曲が収録されていて全体的にスティーヴィーの強い拘りが感じられます


[1]曲目には‘ある愛の伝説’『キー・オブ・ライフ』からの名曲で 愛と平和のメッセージが力強い歌です


最近では ホイットニーへの追悼で歌われました


[2]マスター・ブラスターはボブ・マーレーに


[3]ハイヤー・グラウンドはスティーヴィーが自動車事故により死に直面した際 有名な逸話がある最高傑作です


その他にはマイケル/J5/シリータ/ポール・マッカートニー/ディオンヌ・ワーウィック/アイシャ・モーリス/マイケル・センベロ等とのデュエットや共演


なんと言っても[5]汚れた街に代表される社会問題をとり入れた曲の数々に


[16]ハッピー・バースデーはマルティン・ルーサー・キングJr.牧師をしのんだキャンペーン・ソングで締めくくっています



Disc3は
【Eternity】(永遠のメッセージ)


ここでもスティーヴィー・ワンダーとしての拘りが感じられます


[1]曲目のリボン・イン・ザ・スカイはアルバム『ミュージックエイリアム』からの日本人には馴染み深い傑作バラード


この曲はホイットニーのお気に入りだったので追悼で歌われました


[2]永遠の誓いは『キー・オブ・ライフ』からの名作に[3]愛するデュークはスティーヴィーの代表曲と続き


なかには*隠れた名曲*‘パワーフラワー’に‘花の精’


ここでは解説と私の想いとが一致しましたが


この時点で‘隠れた’ではなくなりました(^^;)


シリータの歌う‘花の精’は本当に素敵です


そして[8]‘回想’や[11]‘迷信’は何も言うことはありませんね♪


[14]夏に消えた恋 が収録されていました!


名曲ではありますが マイケルの追悼で歌われた曲が このテーマに収まったことも嬉しいかぎり


ラス前にはCMで有名な[16]フィール・ザ・ファイアが入ってます


解説でも言ってますが 日本のファンへのプレゼントな曲(^_^;)


そしてこのベストアルバムの締め括りとも言える


[17]フィンガー・ティップス


リトル・スティーヴィー・ワンダー初のナンバーワ…ん?


パート2じゃない!


そう♪コアなファンにも嬉しいロングヴァージョンです(o^-')b





【1985】★Don't Drive Drunk★




今回は スティーヴィーがデビュー以来初めて出したミニ・アルバム(インストルメンタル含む3曲)


「ドント・ドライブ・ドランク」の紹介を


この曲は 前作「ウーマン・イン・レッド」の収録曲ですが


同[ウーマン・イン・レッド]からのシングルカット曲「心の愛」が全英1位を獲得


イギリスでの1位!


これに気を良くしたのか(*´∀`)♪


[ドント・ドライブ・ドランク]スペシャル・バージョンを発表

とてもユニークな曲でして




※女に去られた亭主はジンのガブ飲みで危ない運転


飲酒運転はダメ!



酔っぱらうまで飲むな!


と歌いながら



スティーヴィーの歌声も次第に酔っぱらっていくという演技もあり



とてもコミカルで車の急ブレーキの音で終了する


面白い曲となってます
※[ウーマン・イン・レッドより]



スティーヴィーが発表する曲は


毎回新鮮で驚かされます^^;


どれがスティーヴィーらしい曲なのか


もうわかりましぇん



このようにポップなサウンドが


時代にマッチし幅広く多くのファンを獲得したのでしょう


同じ頃 黒人アーティスト ライオネルやマイケルなども


ソロで活躍しさらにブレイクし


音楽界を牽引



何れもモータウンに所属していた



ことにも注目ですね♪






【1984】★THE WOMAN IN RED ★②


映画「ウーマン・イン・レッド」 
監督・脚本・主演 ジーン・ワイルダー
音楽  スティーヴィー・ワンダー

77年フランス映画をもとにワイルダーが書き直したものです


主題歌はディオンヌ・ワーウィックに依頼がきて、映画を気に入ったディオンヌがスティーヴィーを紹介したとのこと


コマーシャルな曲“I JUST CALL TO SAY I LOVE YOU”は大ヒットに!




ジーン・ワイルダー扮する中年男テディーがある日 出勤途中で見かけた“赤いドレスの美女”(ケリー・ルブロック)に一目惚れからストーリーが展開して行きます
ウーマン・イン・レッドのワンシーン@YouTube

ラスト・シーンは続編がありそうな含みをもたせる内容だったのに・・・


サントラからは大ヒットした「心の愛」も良いですが ディオンヌとのデュエット「イッツ・ユー」や「ウィークネス」も素晴らしい曲ですよね♪


アルバムのラスト曲「ドント・ドライブ・ドランク」はスティーヴィーの遊び心で収録されたんでしょう(^^;


※ウーマンインレッドの追加記事です(2013/06/29投稿分を移動しました)

【1982】★ORIGINAL MUSIQUARIUM★



スティーヴィーを敬愛し今後もファンであることにかわりありません


リトル時代のスティーヴィーや現在のスティーヴィーも好きですが

特に気に入っているサウンドは


1970年代前半から1980年に発表したアルバム「ホッター・ザン・ジュライ」までの


黒人の苦境や社会的コメントが数多く歌に込められたアルバムあたりです



「シークレット・ライフ」が駄作だとか「ホッター・ザン・ジュライ」以降はポップ色が強いなど


ファンの間でも意見は分かれているようですが


スティーヴィーは植物とも話が出来るんじゃないのっ!?


って思わされる「シークレット・ライフ」は


現在あらためて聴くと


芸術性がある傑作だと個人的に感じますし


「ホッター・ザン・ジュライ」は私にとって一番のお気に入りです



★Stevie ベスト★



スティーヴィーの最高傑作と言われている「キー・オブ・ライフ」や


人間愛をテーマにしたアルバムなどから


選曲された[Original Musiquarium]











 「表」ベスト・アルバムって事になります♪

2013年4月29日月曜日

【1980】★HOTTER THAN JULY★①

洋楽との出会いは以前にも触れましたが


ディスコサウンドスペシャルの中のスティービー・ワンダーにとても惹かれ


最初に買ったアルバム

★ホッター・ザン・ジュライ★

発売日がとても待ち遠しかったのを思いだします

シングルカットされた曲は


何れも大ヒットしたと言うわけではなかったのですが


とてもバランスの良いアルバムになっていて


その中の一曲に当時では珍しいシンセサイザーによる“ひとりアンサンブル”





ボブ・マーリーもビックリ!!!な


【マスター・ブラスター】
☆Jammin'☆


やシングルのB面の☆ダブ☆バージョンもとてもユーモラスな曲になってますね


どちらも遊び心があり素敵ですよ(^_-)




とても良いアルバムなのでもっと紹介したいから


続きと言うことで(o^-')b

【1980】★ HOTTER THAN JULY ★② .

[アルバム]ホッター・ザン・ジュライより




疑惑は





アルバムと同じジャケット写真
ですが


この日本語タイトルとのバランスや色使いがとても好きですね


曲も気に入ってますけど


I AINT GONNA STAND FOR IT


★☆★誰かが僕の桜から実を盗んだって、皆が俺に告げ口するけれど、そんな事信じたくないのさ。

誰にも“ぬれぎぬ”なんてきせたくないけれど、誰かが僕のケーキのまわりをかじったって 聞いたのさ。


そんなことを黙っていられるかい。


もう我慢がならないよ。


そんなことを黙っていられるかい。


(nahーah nahーah)★☆★
(シングル疑惑より)


このように訳されていて何とも言えないテンポ(上手く表現できませんがm(_ _)m)が好きです



レイトリーは




せつないバラードですが


アコースティック・ピアノの響きが心地よくて…


自分も何度かカラオケで挑戦しましたが


どうしても最後の高音が唄えない 悔しいですね

【1980】★偉大なるキング牧師に捧げた★【HAPPY BIRTHDAY】

★ HOTTER THAN JULY ★③





このアルバムより最後はやはり


◆◇◆ HAPPY BIRTHDAY ◆◇◆


☆偉大なるキング牧師に捧げたアルバム☆

【HOTTER THAN JULY】のlastを飾る曲です


『マルティン・ルーサー・キング牧師(1929年1月15日~1968年4月4日)
非暴力による黒人公民権運動のリーダー
ワシントン大行進でのスピーチ「I Have a Dream」“私には夢がある”が有名
1964年ノーベル平和賞受賞』






ハッピー・バースデーはご存知の方は多い筈です

メッセージもあり長い曲ですが とても素晴らしい曲です


◇HAPPY BIRTHDAY◇

★☆★世界中の人々がそろって

平和を祝うべき日がないのは

おかしいと思わないかい。

君や俺のような人間にとって

もう時は熟しきっている。

真実への道は

神の御子である我々が愛をもって

結びあうこと、

それは素晴らしいことじゃないか

その愛を確かめるために一日が

費やされるべきなのさ。

総ての人間の平等のために生き、

そして死んでいった人々を

追悼すべき日が我々に必要なんだ。

さあ呼びかけよう

愛はいつの日か勝利を得るはずさ。

さあ、

世界中に働きかけよう。

できる限りの大声で祝おう。

ハッピー・バースデー・トゥー・ユー

ハッピー・バースデー・トゥー・ユー

ハッピー・バースデー★☆★



1981年1月15日を国民の祝日にすることを希望する者より。
Stevland Morris(スティービー・ワンダー)
[ホッター・ザン・ジュライより]



☆★☆アメリカ議会は1986年に1月の第3月曜日をキング牧師の誕生日として国民の祝日にしました☆★☆


【1980】★HOTTER THAN JULY★④




スティーヴィーのアルバムのなかで

最高傑作と称されたのが1976年発表の「キー·オブ·ライフ」


次作1979年の「シークレット·ライフ」は


世間に注目されずにセールスが伸びなかったのです


そして1980年にアルバム「ホッター·ザン·ジュライ」を発表する際


スティーヴィーは相当のプレッシャーを感じていたようです


当時はポップなサウンドが主流のディスコ·ブームで


ダイアナ·ロスは「アップ·サイド·ダウン」で再び注目され


ライオネル·リッチーも上手く時代の波に乗り


マイケル·ジャクソンは「オフ·ザ·ウォール」の成功など


一刻も早くスティーヴィー・ワンダー本来のサウンドを届けなければならない


「ホッター·ザン·ジュライ」は


「シークレット·ライフ」で失望したファンへの回答であったと


このアルバムの評価はさまざまです


私は想い入れもありますが特に好きなアルバムであり


シングル·カットされた「マスターBLASTER(ジャミング)/マスター·ブラスター(ジャミン)は


ボブ·マーレー​​に捧げた曲ですが


シングルスB面には当時話題の "DUBサウンド」を取り入れてます


特に「私はGONNAは、IT /疑惑放置されていない」は


スティーヴィーにしか表現できないようなポップス


「ALL I DO /キャンドルにともした恋」は


1960年代に書いていてストックされていたものです


マイケルがバック·コーラスに参加しているのも面白いのですが


「キー·オブ·ライフ "当時のサウンドに似て私好み


あなたのようなDO「/孤独のダンサー」はマイケルの「今夜はドント・ストップ」に影響されており


歌詞に登場する「ケイタ」という主人公の少年は


マイケルあるいはリトル・スティーヴィーのことを歌ったと言った説もありますが


歌詞を見たら スティーヴィーの長男キータ君のこと


姉のアイシャちゃんがダンスを習っていて 僕もアネキのように上手く踊りたいという内容


それに「HAPPY BIRTHDAY」はサウンドよりは


歴史的なメッセージに惹かれてしまう


万人への受けをねらうどころかかなりチャレンジしているようにも思うが···


スティーヴィー本人はその後も


1984年のが成功するまでは「私はあなた/心の愛、私は愛していると言うへの呼び出し」


常に期待と重圧に押しつぶされそうになっていたそうです


クインシー·ジョーンズに説教されて励まされていたとか





↑↑↑
も1960年代に書いた歌」「/哀​​しい絆現金YOUR FACE」



*これはツイデですが「コマーシャルな」「私はちょうど私が愛していると言うへの呼び出しYOU /心の愛」は1970年代に書いていた歌を映画「ウーマン・イン・レッド」のイメージにぴったりだという理由から選曲



「拘りの「「私はすべてのDO /キャンドルにともした恋」はスティーヴィー・ワンダー『ラブ,ハーモニー&エタニティにも収録されています



拘りと妥協···




【1980】★HOTTER THAN JULY★⑤ “All I Do ”




スティーヴィーは1979年10月「シークレット・ライフ」発表後のプランによると


次作は1980年5月13日迄に 即ち30歳の誕生日を迎える前にリリースする予定でした


当初は“One More Before Thirty ”(30歳前にもう一枚)というタイトルで20代最後のアルバムを完成させたかったようです


しかし 実際に発表されたのは誕生日から数ヶ月後の9月(米盤)になります


タイトルは収録曲“マスター・ブラスター(ジャミン)”の歌詞にもある「ホッター・ザン・ジュライ」に変わります


私は このアルバムを購入後しばらくは 学校から帰ると毎日必ず聴いていました(^^;


どれも良い曲ですが 70年代的の雰囲気がある “ALL I DO”(キャンドルにともした恋)には


バツク・コーラスにマイケルが参加していて 82年“ザット・ガール”B面や2010年記念ベスト盤にも収録されています


この曲は1966年にスティーヴィーとC・ポールそしてM・ブロードナックスとの作品で


悲運の歌姫タミー・テレルに提供された曲でもあります♪タイトルは“ALL I DO IS THINK ABOUT YOU”

再発CDに収録

こちらをお借りしましたm(__)m



※ホッター・ザン・ジュライの追加記事です(2013年6月7日投稿分を移動しました)

2013年4月28日日曜日

【1979】★JOURNY THROUGH THE SECRET LIFE OF PLANTS①



スティーヴィーのアルバムに「シークレット・ライフ」という


植物の生育や生あるものへの愛を描いたドキュメンタリー映画


二枚組のサントラ盤がありますが


とても美しいくてやさしい曲が多く


いま改めて聴くと本当に良いアルバムです


全米初登場13週連続(14週)1位「キー・オブ・ライフ」のあとで


インストルメンタルが半分を占める地味な映画のサントラだったため(未公開)


スティーヴィーのアルバムの中ではセールスが伸びなかったのですが…


とても芸術性の高い傑作ですね


今回は本作品からのエピソード


スティーヴィーが来日した時に琴の音を気に入り購入


収録曲“愛の園”(Ai No Sono)で披露されており


歌っているのはロス在住の日本の合唱団の子供達


その中には当時小学生だった'西田ひかる'さんもいたそうです









【1979】★JOURNY THROUGH THE SECRET LIFE OF PLANTS②

part 2



シークレット・ライフよりシングルカットされた「愛を贈れば」は


1979.11 最高ランク4位で皆さんも聴けばすぐにわかる筈です




他にも素敵な曲がたくさんあります



オススメする曲はスティーヴィーの[[[隠れ名曲]]]


☆Power Flower☆と



☆Come Back As A Flower☆

日本語タイトル〈花の精〉
はとても美しい曲です♪
元妻であるシリータ・ライトが唄っています





*Power Flower*


僕の名前はパン


戸外で暮らしてるんだ

君達の身辺をチェックして、点をつけるのが

僕のつとめなのさ


火、風、大地、そして水の調合師

夜明けの門の笛吹師


別に魔術でもないし


頭がおかしくてこんなことを言っているんでもない

僕は元素と言うやつになりすましてるのさ………………

信じなければ見えはしないよ
まずは信ずることさ……………

花の力は 愛の力

パワー・フラワー、フラワー・パワー、

愛の花………



アルバム【JOURNY THROUGH THE SECRET LIFE OF PLANTS】1979.11 発売 最高4位 より





【1979】★JOURNY THROUGH THE SECRET LIFE OF PLANTS③



今朝、私の頭に
最高におかしな考えが浮かんだ
夜明けを拝もうと思って早く起きたから
太陽はようやく顔を出して
庭に光がさし込んできたその時 私は思った
あらゆるものと自分が一体になっているんだと
そして できることなら花になって
もう一度この地上に生まれてきたいと
・・・・・・・
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・


花になって
愛の優しさを振りまき
愛の甘さを広がらせたいの


朝霧があちこちの草木に愛撫をし終わると
甘く匂う虹が空に橋をかける
そして静けさがあたりを支配するのを
私はうらやましい思いでながめたわ
そこには自分以外のものに邪魔されず
すっくと佇む花が
ああ、どんなにあの花に 生まれかわりたいと思っただろう
・・・・・
・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ああ、一本の花になって
再びこの世に生まれることができたら
・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・


花になってこの地上に生まれて来られたら
・・・・・
もう一度この世に生まれる時は
花になりたいわ
・・・
・・・・・・


どうしたら花になれるのでしょう
花よ、花よ
どうしたら花に生まれかわれるのかしら
花よ
愛の優しさ
愛の甘さ……


[アルバム]
JOURNY THROUGH THE SECRET LIFE OF PLANTS
[[[隠れた名曲]]]花の精
Come Back As A Flower

唄 シリータ・ライト 享年58歳












2013年4月27日土曜日

【1976】★SONGS IN THE KEY OF LIFE★






2枚組+17㎝LP4曲入り


初登場から全米アルバム・チャート13週連続(14週)1位
(一時はイーグルスの名盤★ホテル・カリフォルニアに明け渡すものの)



アルバムパッケージもですが すべてが常識破りの「キー・オブ・ライフ」


前作「ファースト・フィナーレ」までの驚異の4部作(心の詩含む)から


たった二年です


300曲程のストックの中から厳選され吹き込まれた21曲と言われています


シングルカットされた
《I WISH》回想や
《SIR DUKE》愛するデュークなどの皆さんがご存じのナンバーは勿論


どこから聴いてもスーっと入ってきて*やられます♪


すべてがお薦めなんです(笑


ベスト・アルバムもいいですが やはりアルバムは曲の順やテーマ
そして時代が感じられていいです



[VIP-2]SIDE 2

《AS》永遠の誓い~《ANOTHER STAR》アナザー・スターは引き込まれますね(共にシングルカット)


★超お薦めは★


[VIP-2]SIDE 1

3.【BLACK MAN】ブラック・マン(8:29)


シングルカットされず有名な曲といえば

《KNOCKS ME OFF MY FEET》孤独という名の恋人(1980疑惑のB面)

と《ISN'T SHE LOVELY》可愛いアイシャ


愛娘アイシャの誕生を祝って作られた曲

≡なんて可愛い子なんだ

天使にも負けない清らかさだろう?

この子は


天からの贈り物


神様が


こんな素晴らしい宝物をくださるなんて……

この子は 俺達二人の愛の結晶≡


出だしのイントロ部分は別の赤ちゃんの泣き声のようですが


ハーモニカ・ソロをバックにスティーヴィーとアイシャ本人の泣き声や笑い声が何とも微笑ましく


自然と笑顔になり幸せ気分になる素敵な曲ですね♪


[アルバム]SONGS IN THE KEYOF LIFE
1976.10発表
最高ランク1位(初登場)

[シングル]I WISH
1976.12チャートイン
最高ランク1位

[シングル]SIR DUKE
1977. 4
最高ランク1位

[シングル]ANOTER STAR
1977. 8
最高ランク32位

[シングル]AS
1977.11
最高ランク36位


〈グラミー賞〉


1976年度


最優秀アルバム賞


「キー・オブ・ライフ」


最優秀ポピュラー・シンガー賞

「キー・オブ・ライフ」


最優秀プロデューサー賞

「キー・オブ・ライフ」


最優秀男性R&Bボーカル賞

「回想」







【1976】★Duke Ellingtonを知りたい★ .



スティーヴィー・ワンダーの代表作

【SIR DUKE】と言う曲は有名ですが

そのStevieが尊敬するアーティスト
“Duke Ellington”

その彼が立ち上げたのがデューク・エリントン・オーケストラ(没後Duke Ellingtonの意志を継ぎ現在も活動)

2011年[記事より抜粋]
東日本大震災のことで胸をいため、勇気付けるべく音楽を奏でています。 我々は、宮城県気仙沼市にある、小・中学生で構成されたビッグバンドのことをニュースで知り、これから日本を担う子供達に、希望と夢を持ってもらいたい、そしてジャズを通して豊かな心を育んでもらいたいと願います。

公演終了後[記事より抜粋]
気仙沼ジュニア・ジャズ・オーケストラ「スウィング・ドルフィンズ」募金活動の報告
「スウィング・ドルフィンズ」の今後の活動資金の一部として寄付致します。
(Harmony Japanコンサートレポート参考)



生前のデューク・エリントンも
1964年に日本公演を行っていた時に、新潟地震が発生し被害を知った際にも、次回のハワイ公演を取り消し募金を募ったコンサートを開催したそうです。
しっかり意志を継承されているようです。


[アルバム]SONGS IN THE KEY OF LIFE収録
SIR DUKE(愛するデューク)






【1976】★Duke Ellingtonをもっと知りたい★



デュークエリントンがスウィングジャズで有名なのは知っています


Stevieと同じアフリカ系アメリカ人であることや


作曲家でありオーケストラのリーダーであった事も


では何故あのStevieが彼を敬愛しているのか?


Duke Ellingtonは17才でピアニストとしてデビュー


その後代表曲『A列車で行こう』など


数多く音楽史に残る様々な作品を世に出し


9回ものグラミー賞を獲得していますが……




Stevieが「愛するデューク」を発表する以前


グラミー賞について次のような事を語っています


≡≡ぼくが受けとった数多くの賞に対して、

ぼくはそれらを受けとるだけの価値はないのではないかと感じている。

それと言うのも、栄誉を与えられて当然の多くの人々がいると感じているからだ。

すでに亡くなってしまったが、

数えきれないほど多くの男性と女性が、

今日、ぼくたちがここにあるように、

ぼくたちのために偉大な貢献を果たしてきた、

そう感じているからだ。≡≡


さらに


≡≡大きな例がデューク・エリントンだ。

彼は、この世界に対し、この国に対し、

偉大な貢献をした。しかし、彼は、

ほんの少ししか報いられていない。

建国200年に当たる今年でさえも、

彼の功労に対する評価は小さなものでしかない。≡≡

[アルバム]SONGS IN THE KEY OF LIFE より


最大級の賛辞です


デューク・エリントンをもっと知りたい!




Dukeや音楽の開拓者たちを称えている曲


☆愛するデューク☆



You can feel it all over

You can feel it all over peple

You can feel it all over

I can feel it all over
-all over now peple









2013年4月26日金曜日

【1974】★ FULFILLINGNESS'FIRST FINALE ★ ①

STEVIE WONDERは生まれつき眼が見えないのは


皆さんご存知だと思います


その後交通事故により



味覚と嗅覚も失ないました(現在は回復)


要するに五感のうち三感が不自由な時期があったのです


その経験から作成したアルバム


【死後の世界や神との対話 愛と人間との繋がりをテーマに】


音楽と共に歩んだ少年時代


社会に対する心の眼、すなわち信念


永遠の絆である人間愛



幼年期への回想



未知の世界、すなわち神の世界と自分との愛のつながり


世界中の人に伝えたい物語


第一幕の終わりに…



★☆★FIRST FINALE★☆★








ジャケットのイラストにも注目




【1974】★ FULFILLINGNESS'FIRST FINALE ★ ②

アルバムジャケットには




彼のストーリーが描かれており


キーボードの鍵盤を階段に見たて生涯を表しています


下から大きく4段階には


1段目の幼年期は隠しています…


2段目には音楽生活に入った11歳の時の笑顔と


思い出のモーター・タウン・レビューのマイクロバス


そして彼を励ました 亡きマーティン・ルーサー・キング牧師


3段目は数多くのゴールド・ディスクとスターになった頃の彼


グラミー賞獲得した時の母親と喜び合う光景


世界中を回った時に使用した看板とドラムス


後方には3枚のアルバムジャケットと


人間愛をテーマにした内2枚からは故ケネディ大統領が流れている様子が…


4段目になると今までの業績を称える賞と当時の彼


ガーナの小さな男の子と楽しそうに遊んでいる女の子


彼が交通事故により死を直面した時の車


アフリカへの夢を意味する動物達


スティーヴィーの額には彼の人生を支配する星の象徴タウラス


その上の5段目以降は空白であり


その先の未来を意味していますが


後部は死後の世界とそれに対する恐れ 不安 戸惑い


その階段を明るく照らしている太陽 すなわち神を意味し


両側の壁は外部からの圧力を象徴しています

【1974】★ FULFILLINGNESS'FIRST FINALE ★ ③

続いてアルバムジャケットのインサイドカバー


見開き部分には次のステップである


未来の絵がさらに大きく描かれており


第2幕の始まりを意味しています


このアルバムには豪華なバックミュージシャンが参加していますが


ジャクソン・ファイブ(バックコーラス)が参加した


【YOU HAVEN'T DONE NOTHIN'】


日本語タイトル“悪夢”が大ヒット


……「お前は口ばかり達者だが 実際には何もしてやしないのさ!」

ジャクソン5も俺に賛成なら声を合わせてくれよ

Doo,doo wop-hey,hey,hey

Doo,doo wop-wow,wow,wow

Doo,doo wop-naw,naw,naw

Doo,doo wop-co,co,co


Doo,doo wop-bum,bum,bum

悪夢にうなされて目醒めれば

悪夢よりひどい現実が待っている世の中なんだぜ

もし 人の心を読みちがえるようなことがあれば

氷みたいに冷えた心は元どうりにはなりゃしねえ……


……ジャクソン5も調子を合わせてるぜ

Doo,doo wop Doo,doo wop-oh……



『ファーストフィナーレ収録・悪夢』より







【FULFILLINGNESS'FIRST FINALE】

◇STEVIE WONDER'S◇


1974. 7 発売
[アルバム]FIRST FINALE
最高1位


1974. 8 発売
[シングル]YOU HAVEN'T DONE NOTHIN “悪夢”
最高1位



〈グラミー賞〉


1974年度

最優秀ポピュラー・シンガー賞
最優秀アルバム賞
最優秀プロデューサー賞
「FIRST FINALE」




【1974】★ FULFILLINGNESS'FIRST FINALE ★ ④



もう1曲ファーストフィナーレから



このアルバムもイイ曲がたくさんありますよ


シングルカットされたこの曲も紹介しておかないと…




君と熱い恋がしたいのさ

星のきらめく空の下で


ありのままの君を見つめたいんだ

レゲ・ウーマンとブギをやるのは申し分ない気分さ

==どうしてだめなんだい?

レゲ・ウーマンとブギをやるのは最高なのに

==どうしてやらせてくれないんだい?

いいだろう?==ね いいだろう

だめなのかい?



※ブギ=SEXを意味する場合もあり


1974.12 発売
[シングル]Boogie on Regge Woman
最高 3位


アルバム【FIRST FINALE】より


あと「1000億光年の彼方」なんかも

美しい曲ですね♪

2013年4月25日木曜日

【1973】★INNERVISIONS★



1973年12月 発売 “汚れた街”



人種差別がひどかった時分

ミシシッピーの小汚ない一室で奴は生まれた

両親は 奴が全うな道を生きていけるようにと

愛し いつくしみ 願いを込めて育てたさ

ただ都会で人並み生活が出来るようにと

父親は一日14時間も働き

ようやく1ドルが稼げる程度

母親が 他人の家の床を磨いたところで

1ペニーがもらえるやっとの生活


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


奴は髪はのび放題 泥だらけでたくましい足で

一生ニューヨークの街をうろつきまわるのさ

都会の汚い空気を吸いすぎて もう息も絶え絶えだぜ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この俺の心からの悲しみの声を聞いてくれないか

そして いくらかでも明日への希望を感じてくれないか

こんな残酷ですさんだ社会に生きる俺たちが

少しでもよの中を変えていかなければ

生きるなんてことの意味はないだろう?

ただ生きることがやっとの人生なんて

食べるのがやっとの人生なんて意味がないだろう?


都会でなんとか生きてくってことが

黒い奴らには 大した苦労なのさ

・・・・・・・・・・・・・・・


【LIVING FOR THE CITY】
◇ STEVIE WONDER◇



★黒人の苦境や社会への怒り★




1973.8 発売
[アルバム]☆ INNERVISIONS


1973.12 発売
[シングル]☆Living for the City

“汚れた街”

billboard HOT100 最高8位
Billboard R&B 最高1位


〈グラミー賞〉


1973年最優秀アルバム賞・ 最優秀録音賞


1974年最優秀R&Bソングライター賞(Living for the City)








【1973】★INNERVISIONS★②



スティーヴィーは1970年9月14日にシリータと結婚


この頃のサウンドも厚みを増し


人間的にも音楽的にも大きく成長し


精神面も充実していた時期でもあります


1972年 アルバム「トーキングブック」は


ジャンルを超越した好アルバムで成功し


次回作品の期待が高まり始め


スティーヴィー自身も次作を最重要アルバムと考えていたようで


リリースに向け 初めて記者会見を開くなど力の入れようです


気になるのは73年春の雑誌でのインタビューで


死を意識する驚きの発言をする事も…


そして1973年8月待望のアルバム「インナーヴィジョンズ」がリリース


しかし そのわずか3日後の1973年8月6日の早朝


サウスカロライナからダラムのデューク大学に向かう途中


いとこのジョン・ハリスが運転した車は事故に巻き込まれます


スティーヴィーは助手席で眠っていて


ジョンが木材を積んだトラックを


追い越そうとした時に ハンドル操作を誤り


トラックの後部に追突してしまいました


その反動でトラックの荷台からずれ落ちた材木の一本が


フロントガラスを破りスティーヴィーの頭部にぶつかり重症…


数日間 昏睡状態になり彼のベットの周りは重苦しい雰囲気でしたが


駆けつけたスティーヴィーの広報マネージャーのアイラは


叫んでも応答がないスティーヴィーの耳元で


「ハイヤー・グランド」を声をはりあげて歌った


するとスティーヴィーは歌に合わせ 指で拍子をとりだしたそうです


後遺症は残ったものの その後


エルトン・ジョンのコンサート・ゲストとして


歌も披露し ステージに戻ることが出来ました


この体験は次作「ファース・フィナーレ」に繋がってゆく訳です



1973.8 発売
[アルバム]☆INNERVISIONS☆
billboard 1位


1973.9 発売
[シングル]☆Higher Ground☆
billboard HOT100 4位
billboard R&B 1位








2013年4月24日水曜日

【1972】★TALKING BOOK★



私が洋楽に嵌まるキッカケとなったアルバム



Disco Sound Special Vol1

この中の“Superstition”(迷信) を初めて聴いたのが

STEVIE WONDER'Sの音楽との出会いです


とてもカッコいい曲です


その後アルバム[トーキング・ブック]を購入

“Superstition”はとてもFUNKYな曲ですが ロック・ファンのあいだでも有名ですよね

アメリカに伝わる“迷信”を歌にしていて そんなもん信じてどーすんや!って感じの歌詞ですけど

当時ジェフ・ベックに書いた曲でしたがスティーヴィーが先にリリースして大ヒット

複雑な理由があるにせよ
そらぁジェフ・ベックにしたら怒りますよね


≡Very superstition,……≡



このアルバムよりシングルカットされた もう一曲は日本でもお馴染みの歌“サンシャイン”

当時の奥さんシリータへの想いを歌っていると思われていたが・・・



[アルバム]TALKING BOOK
1972.11発表
最高ランク3位

[シングル]Superstition
1972.12チャートイン
最高ランク1位

[シングル]You Are The Sunshine of My Life
1973. 4チャートイン
最高ランク1位


〈グラミー賞〉

1973年度

最優秀男性R&Bボーカル賞

“迷信”

最優秀R&Bソングライター賞

“迷信”


最優秀ポップ・ボーカル賞

“サンシャイン”





2013年4月23日火曜日

【1972】★新たなオーディエンス獲得の為に★



遡ること1964年。


ローリング・ストーンズは全米デビューを果たします。

本国イギリスでは既に人気を獲得していましたが、米デビュー直後のツアーはガラガラでした。

彼らは積極的にメディアへの露出やライヴ活動を行い、徐々にその人気に火がつき始めます。

ちょうどその頃彼らはリトル・スティーヴィー・ワンダーのショーのオープニングを務めていたのでした。


時は1972年。


不動の人気を得たローリングストーンズはアルバム「メイン・ストリートのならず者」を発表後、米ツアーを行います。

一方のスティーヴィーは、モータウンとの再契約後に、ある程度の自由を獲得し、新たなキャリアに乗り出した時期でした。


1972年のモータウンといえば、本社をロサンゼルスに移転し終焉を迎えていた時期。(モータウン・サウンド)

それでも自社のアーティストが、あまり自主性に目覚めることをよく思っていなかった。

しかしスティーヴィーの新契約では外部との協力が可能であり、彼はモータウンに頼らず、ウォートウク社にプロモーションを依頼。


ウォートウクとはウッドストック・フェスティバルのパブリシティを担当したPR会社です。

彼らはこれ迄にスティーヴィーを紹介したことのない地域のTVショーに出演させるなど、新たなオーディエンス獲得の為のプロモーションを展開していく。

スティーヴィー自身もロックのオーディエンスとの親交を深めて行きます。

さらに ウォートウク社はスティーヴィーをストーンズ3年ぶりとなる1972年夏の北米ツアーに

オープニング・アクトとしてアレンジしたのです。


次回は北米ツアー編です。



【1972】★新たなオーディエンス獲得のために★②



1972年当時、スティーヴィーとシリータは破局をむかえ“生涯の友”として関係を再スタートしている。


シリータが去り心は傷ついたが、その痛みを紛らわすかのようにストーンズのツアーに備えて準備を進めていた。


スティーヴィーがストーンズのオープニング・アクトを務めることは、とても皮肉なことです。


1964年にはストーンズがリトル・スティーヴィーの前座をしていたわけですから。


スティーヴィーがアルバムを出せば100万枚セールス出来ると言われていた頃です。


しかしスティーヴィーは色々なSoundを吸収しようとしていたから、


そんなプライドや拘りは無かったと思われます。


さて、1972年夏 ローリング・ストーンズのコンサートは3年ぶりとあって、ストーンズの登場を待ちわびるファンが前座のグループをやじり倒していた。


しかしスティーヴィーは多くの白人オーディエンスの前で堂々とやり通したそうです。

しかし、全てが上手くいった訳ではありません。

彼のバンド、ワンダーラブのドラマーG.コープランドが突然バンドを去ったのです。


ギグのあとにテンポが乱れていたと口喧嘩をし、コープランドはスティーヴィーに向かって、


「あんたがドラムをやれよ!(ヘタなドラム)あんたがドラマーさ。ドラムスをやりながら歌って、ついでにハーモニカも一緒に吹けばいいだろ!」(^^;)


何とか直ぐに新しいドラマーも見つかりストーンズのコンサートには間に合って


関係者をほっとさせましたが、これは一つのトラブルに過ぎなかったのです。

この出来事はツアーの最中で、スティーヴィーは新しいドラマーが「間に合わなければ会場には行かない」、


ツアー・マネージャーは「何とか間に合わせろ」と言うやり取りが当然ストーンズの耳にも入りました。


この時点では、ツアーでのスティーヴィーのパフォーマンスは欠かせないものになっていたためか、ミックやキースも苛立ったようです。


この1件でスティーヴィーに対し、新聞でのキースの暴言など、


ツアーの間もミックやキースがプレスの人間にスティーヴィーに関して侮辱的な発言をしていた。


しかし、スティーヴィーは二人とも普通の状態ではなかったと言っている。


※このツアーは最も悪名高い、ストーンズ・ツアーの一つアルコール・ドラッグ・セックスの時代として、ドキュメンタリー映画「コック・サッカー・ブルース」としてカメラフィルムを回していたからビックリマークなのでは。


しかし、表現が過激なために一般公開されなかったのですが…。




次回は更に関係の泥沼化からツアー終盤へ



【1972】★新たなオーディエンス獲得のために★③



1972年といえば、


10/27にスティーヴィーのアルバム「トーキング・ブック」が発売されました。


その夏のストーンズのツアーは恐らく刺激になったでしょう。


そのツアーでのスティーヴィーはストーンズと一緒にいる間は心が落ち着く時がなかったそうです。


特にミックの習慣に不満だったようで、一緒に行動することが耐えられないと…

(細かい内容は控えました…^_^;)

ミックもスティーヴィーたちに対し「…とてもあんな奴らと一緒にはいられなかった…」と発言しています。


そういう仲たがいもありましたが、ツアーも終わりに近づく頃には、


ステージ上で、スティーヴィーとストーンズとの間に素晴らしいやり取りが始まったのです。


その時の映像が一部出回っていますね。


先ずミックがスティーヴィーをエスコートしているところから始まり、


演奏はスティーヴィーの‘アップタイト’からストーンズの‘サティスファクション’をメドレ-で演る


ミックとスティーヴィーの掛け合いが見ものです。


スティーヴィーは「自然とそうなった」と言ってます。


それが、とてもエキサイティングだったため演り続けることを決め、


その後のショーに組み入れたそうです。


ツアー最後の夜は、メドレ-部分が急遽ミック・ジャガーのバースディ・パーティに変わり、パイ投げ合戦に変貌。


スのテージ上では、パイが飛び交いドンチャン騒ぎ!


パイだらけの中で‘サティスファクション’を演り、


スティーヴィーもエンジョイ!



スティーヴィーは後に、その時のことを思い出すと、


実に楽しく「イヒヒ…」と周りに話していたそうですよ。


そして、その年の暮れに、ローリング・ストーンズとスティーヴィーワンダーのパフォーマンスを含む

2枚組のライヴ・アルバムがリリースされる予定でした。


何故だか…アルバム・ジャケットのプリントまでされながら、


日の目を見ることはなかったのです。(デッカとの折り合い?…)



スティーヴィーはストーンズのツアーを貴重なステップだったと捉えています。


※何度も何度も口論したけれど、良い刺激が悪かったことを補ってまだ余りあるんだ。―――」
by スティービー・ワンダー




2013年4月22日月曜日

【~1971】★黄金時代の幕開け★



1971年5月13日はスティーヴィーの21回目の誕生日でありモータウンとの契約が切れた日でもありました


当時モータウンの社長エワート・アブネルに「僕は21才になりました。もうあなたの言うことには従えません。契約は無効にしてくれ」


そう言ってスティーヴィーとシリータはニューヨークへ向かいます


ここからスティーヴィーの新しいサウンドが産まれてゆくわけですね


次のアルバム製作のためにグリニッジ・ヴィレッジにあるエレクトリック・レディランド・スタジオ(ジミー・ヘンドリックスの遺産)に籠ると


2週間に40曲もレコーディングをしたとか!


この頃にサウンド・パートナーとなるセシルとマゴーレフにも出会い


彼らからシンセサイザーの技術を教わりながら


スティーヴィーの才能が開花してゆくことになります


そこで出来上がったのが文化的にも重要なアルバム「心の詩」です


モータウンを離れたためにまわりにグループもなく


このアルバムはほとんどひとりでの作業によるものでした


作曲 アレンジ 演奏 すべてを担当しているってことですね♪


あとはレコードをリリースする問題だけなんです


スティーヴィーが選んだのはアトランティックやCBSではなく


再びモータウンになりました


これまでと違うところはクリエイティブ面での自由と


レコードの売上げ額の高いパーセンテージを印税として受けとることなど

なによりもモータウンからの束縛に縛られない権利を得たことで


創造力が驚異的なまでに集中した黄金時代が幕を明け


“神憑り的”と言われたアルバムが次々と発表されたのです







2013年4月21日日曜日

【~1971】Never Dreamed You'd Leave In Summer - Stevie Wonder





マイケル・ジャクソンの追悼で歌われた曲です。

2010年スティーヴィー・ワンダー 本人監修による選曲、キャリア50年記念ベスト・アルバム「ラブ、ハーモニー&エタニティー」ではテーマ:永遠のメッセージに収録された。



■邦題「夏に消えた恋」1971年リリース
by Stevie Wonder and Syreeta Wright

夏に君が去って行ってしまうなんて考えもしなかった

一度は出ていっても、きっと戻って来ると信じていたのに

夏になれば君の冷たい態度も変わると思っていた

だけど、いま僕はたった一人で静かに夜を過ごしている

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夏に君が去って行ってしまうなんて考えもしなかった

だけど、もう僕の恋人はここにはいない

“マイケル”どうして行ってしまうのだ





※(2013/06/25投稿分を移動しました)

【~1971】★Signed,Sealed,Delivered I'm Yours★



“涙をとどけて”Stevie Wonder

〓こんなに長いあいだ君の下を離れていたなんて

なんと僕は馬鹿だったんだろう

いまでは、君がまだ愛してくれているかどうか

自信がなくて迷っている

ああベイビー、帰ってきたんだよ

サインされて、封をされて、配達されて・・・

僕はまた君のものさ…………〓



■1969年ビートルズは事実上の解散。モータウンではダイアナ・ロスがザ・スプリームスを去りソロシンガーとして歩み始め、モータウン・サウンドの要の一つベニー・ベンジャミンは他界した。



この頃のスティーヴィーは音楽上そして人生に於いても重要な時期である


'60年代を席巻したビートルズの特にポール・マッカートニーのソングライティングから影響を受けており


スティーヴィーの初期の代表曲の一つ‘マイ・シェリー・アムール’は‘ミッシェル’と同じアプローチであると思われた(詳しくはまた何れ)


そして1970年アルバム「涙をとどけて」からはビートルズのカヴァー‘恋を抱きしめよう’が大ヒットし


アルバム全体にはビートルズ以外にメンフィス・サウンドからもヒントを得ている(この話も何れ)


このアルバムの同タイトル・シングルは始めてフル・プロデュースのクレジットを獲得


その当時※シリータ・ライトはシンガーになることを夢見ながら会社で秘書をやっていた


■現にモータウンでは、かつて秘書をやっていた‘マーサ・リーヴス’も、モータウンのスター‘メアリ・ウェルズ’がレコーディングをさぼったことから代役を務め、そのチャンス以来シンガーとしての道を歩み始めた話もある。


スティーヴィーはシリータをとても気に入り これまでも実験的な作品の時には彼女を起用していて


“涙をとどけて”では彼女を自宅に呼びスティーヴィーの母ルラと


スティーヴィーの親友リー・ギャレットと共にセッションを行いました


リー・ギャレットとはスティーヴィーが初期のモータウンのツアー中に


フィラデルフィアで知り合って以来の親友で


スティーヴィーと同じ盲目のミュージシャンであったが


その後DJとなりデトロイトのラジオ局に移って来ていた


“涙をとどけて”は彼らと母ルラと一緒に書いたものです


[シングル]SIGNED,SEALED,DELIVERED I'M YOURS/涙をとどけて

by Stevie Wonder,Syreeta Wright,Lula Mae Hardaway and Lee Garrett

1970 US3 R&B1


■1970年9月14日スティーヴィーとシリータは結婚しました。





【~1971】★I Was Made to Love Her★


“愛するあの娘に”

〓僕の生まれたのはリトル・ロックの町

子供のころから恋人がいた

僕らはいつも手と手をつなぎ合っていた

僕はハイトップ・シューズにシャツの袖を出して

スージーの髪はピッグテール

その頃からずっと愛していたのさ〓


※私が始めてスティーヴィー・ワンダーの曲に出会ったのは

↑↑↑
このアルバムから

元々叔母さんのレコードでしたが、実家にあったのを勝ってに聴いたのが始まり。もちろんモータウンなんて全然知らないガキの頃の話です。色んなアーティストの曲の中から何故かスティーヴィーの「悪夢」や「迷信」にショックショック!を受け、そこからスティーヴィーの曲を遡って聴くようになりましたね♪



〓パパは交際に反対で

ママは泣きわめく騒ぎさ

だけど何度も説得を続けた

僕は彼女を愛するために生まれてきたのだと

僕の世界は彼女の周囲に築かれていると

Yeah,hey,hey,hey〓

それからどしたの?

※洋楽好きになってしまったね。元々 子供の頃から音楽好きで、毎日小学校の朝礼台で歌ったりホームルームではワンマンショー(^^;)もちろん今でも人前で歌うことは好きだけどね♪ 血筋かな



〓彼女はずっと僕のインスピレーションさ

僕の愛を喜んで受け入れ

僕は何年も愛し続けてきた

甘いマグノリアの木のように

僕の愛は優しく花開き


愛の年月とともに人生は甘味に育ってきた〓


この曲は1967年5月にリリースされたシングルでポップチャート2位・R&B1位を獲得


サウンドはジェマーソンのプレイも印象的


なんといっても歌詞でスティーヴィーの10代の恋心をストーリー仕立てにしているところが良い


この10分で書かれたと言われている歌詞のクレジットは


スティーヴィーの母ルラそしてモイとコスビー


歌詞に出てくる主人公はスティーヴィーで“スージー”は


スティーヴィーが始めて真剣に好きになった女性“アンジー・サッター・ホワイト”


スティーヴィーのvocalもこの運命の愛をうまく表現している


〓僕のベイビーは愛してくれている

彼女は僕が必要なのさ


それが分かっているから愛は何年も続いた

僕は彼女を愛するために生まれてきたのさ

尊敬し そして賛美するために

Hey,hey,hey〓


この後に続く歌詞も素晴らしいのだけれど長いから省略<(_ _)

〓Oh,ベイビー、彼女を喜ばせるために生まれた

そうさ、スティーヴィは絶対に彼女を離さないさ〓


I WAS MADE TO LOVE HER

by Stevie Wonder,Henry Cosby,Lula Mae Hardaway and Sylvia Moy



※初期のスティーヴィーの曲では この”愛するあの娘に”が一番の私のお気に入りです




【~1971】★A PLACE IN THE SUN★



“太陽のあたる場所”


何処までも続く せせらぎのように


僕は自分の夢に 向かって走る


休まずに進み続ける



空に向かって伸びていく枝のように


自由を求めて 手を伸ばす


休まずに 進み続ける





何処かに必ず 陽のあたる場所がある


誰もが希望に 満ちあふれていて


僕の疲れ果てた心さえも 癒してくれる場所


そんな陽のあたる場所が きっとあるから


僕の人生が終わってしまうまでに


陽のあたる場所に たどり着かなければ


古ぼけた埃だらけの道のように


もう生きていくことの 重荷に負けそうだ


それでも! 休まずに進み続ける


この疲れたトラブルだらけの大地のように


生まれてから ずっと転げてばかりさ


それでも! 休まずに進み続ける





何処かに必ず 陽のあたる場所がある


…………………………………………


そんな陽のあたる場所がきっとあるから


…………………………………………


陽のあたる場所にたどり着かなければ!!






1966年【 A PLACE IN THE SUN 】
Ronald Miller / Bryan Wells