2013年6月30日日曜日
追加動画
SYREETA WRIGHT -HARMOUR LOVE
《最近に追加された動画一覧》(5月末迄の記事)
【日付.記事タイトル】動画名
【5/28 CYNDI】 WE ARE THE WORLD Soro Recording
【5/26 DENICE WILLIAMS】 Denice 1984 Let's Hear It For the Boy
【5/17 女性vocal】 Bette Davis Eyes-Gwynes Paltrow
【5/16 ホイットニー・ヒューストン】HIS EYE IS ON THE SPARROW
【5/15 RAY CHARLES】 Hit The Road Jack
【5/12 音楽と映画の話】 Calling you-Jevetta Steele
【5/12 映画 人間の証明のテーマ】 ジョー山中
【5/11 Respect 】 Otis Redding My Girl
【5/10 Lovin' you】 minnie riperton
【5/9 BOZ SCAGGS】 Miss Sun
【5/7 1974年 その時代と音楽】 “悪夢”Stevie Wonder
【5/7 1979年 その時代と音楽】 Michael Jackson Don't StopTil You Get Enough
【5/2 モータウンな話 ガール・グループ②】 1983Supremes Reunion
※アメブロからの引っ越し記事の為(5月末迄)、動画はあとからになりましたm(__)m
2013年6月28日金曜日
CHAKA KHAN
今年もチャカ・カーンが来るぜよ
この人はホント存在感がありますよね♪
チャカ・カーンはルーファスのリード・ヴォーカル時代だった頃から存在感は際立っていたようです
ジャズ寄りの歌いかたも魅力ですが、私のイメージは容姿も歌唱も豪快な姐さんって感じです
そんな姐さんでも、共演したエッタ・ジェームズとグラディスナイトの迫力には勝てないかも・・・
I Feel For You /フィール・フォー・ユー(プリンスのカヴァー)は
当時でも珍しいイントロにラップを取り入れたことが斬新であったのとスティーヴィーのハーモニカも絶妙です!
それにブレイクダンスがブームの頃でディスコのDJにも好まれた曲でした 懐かしい~
2013年6月25日火曜日
Whitney Houston (LIVE) "Master Blaster (Jammin')"
取扱注意!
爆発物につき以下の
注意厳守のこと!
1.ターンテーブルを水平に保つ
2.ボリュームを上げる
3.後ろに下がって聞くこと
このマスター・ブラスターのジャケットはとてもユニークで爆竹の絵も描かれています
レゲエ・サウンドを基調に、歌詞にはボブ・マーリーが登場
スティーヴィーは70年代前半の頃からレゲエに興味があったのですが、1981年のアルバム「ホッター・ザン・ジュライ」からようやく取り入れてきました
そのボブ・マーリーつながりから最近のローリン・ヒルはどうなんでしょう?金銭トラブルもあったとか…早く完全復活を見たいものです。
LAURYN HILL Isn't She Lovely @YouTube
ローリン・ヒルのマスター・ブラスターを探していたのですが、なかなか気に入ったものが見つからず今回はホイットニー・ヒューストンのライブ映像にしました。
ホイットニーのMaster Blasterも良い!
Whitney Houston & Lauryn Hill @YouTube←こちらはお二人によるスティーヴィーの曲をカヴァー
歌姫とスティーヴィーの共演@YouTube←ホイットニーとの掛け合いが最高ですね♪
2013年6月22日土曜日
【モータウンな話】DIANA ROSS AND THE SUPREMES
ダイアナ・ロス&ザ・スプリームスの活動は2年程です。
1967年にはフローレンス・バラードがザ・スプリームスを脱退し
代わりにパティ・ラベル&ザ・ブルーベルズからシンディ・バードソングが参加してきました。
そして、グループ名はダイアナ・ロス&ザ・スプリームスとなりアルバムREFLECTIONを発表します。(シングルス“リフレクション”2位)
しかし、このアルバムを最後にグループの担当プロデューサー・チームH=D=Hがモータンを去ります。
H=D=Hというモータウンの柱を失ったベリー・ゴーディjr.
次のアルバムには自らプロデュースに参加し
賭けとなるグループ初の社会的メッセージを込めたラブ・チャイルドを発表した。
この曲は見事に全米1位を獲得しましました。
新たなグループでダイアナが脱退するまでの全米ナンバーワンに輝いたのは、
ラブ・チャイルドとテンプスとの共演“君に愛されたい”
そして脱退発表後の“またいつの日にか”の3曲でした。
ダイアナ・ロス在籍時の最後のヒット曲“またいつの日にか”はジョニー&ジャッキーのカヴァーでジョニー・ブリストルがトライ・ファイ時代(デュオ)の曲です
オリジナルのほうも良いと思いますので是非聴いてみてください!
JOHNNY & JACKEY @YouTube
syreeta @YouTube
そして、グループ名はダイアナ・ロス&ザ・スプリームスとなりアルバムREFLECTIONを発表します。(シングルス“リフレクション”2位)
しかし、このアルバムを最後にグループの担当プロデューサー・チームH=D=Hがモータンを去ります。
H=D=Hというモータウンの柱を失ったベリー・ゴーディjr.
次のアルバムには自らプロデュースに参加し
賭けとなるグループ初の社会的メッセージを込めたラブ・チャイルドを発表した。
この曲は見事に全米1位を獲得しましました。
新たなグループでダイアナが脱退するまでの全米ナンバーワンに輝いたのは、
ラブ・チャイルドとテンプスとの共演“君に愛されたい”
そして脱退発表後の“またいつの日にか”の3曲でした。
ダイアナ・ロス在籍時の最後のヒット曲“またいつの日にか”はジョニー&ジャッキーのカヴァーでジョニー・ブリストルがトライ・ファイ時代(デュオ)の曲です
オリジナルのほうも良いと思いますので是非聴いてみてください!
JOHNNY & JACKEY @YouTube
syreeta @YouTube
2013年6月21日金曜日
Quincy Jones ⑤
Quincy と Ray
レイ・チャールズは16歳でクインシーが14歳の時にシアトルで出会い互いに将来の夢を語り合っていたのです。
1951年からそれぞれの道を歩きはじめ、シアトルで二人で描いたさまざまな夢を実行していきます。
レイ・チャールズYouTube動画は削除しましたm(__)m
盲目の人間は人の心を読むことができる。耳に聞こえるひと言ひと言から、その人物の心が伝わってくる。クインシーの口調にはやさしさが感じられた。彼は誠実だった。…………………………私たちはすぐに友達になった。…………………………長い付き合いだが、彼は昔とこれっぽっちも変わっていない。彼はずっとあの頃のクインシーのままだ。まったく途方もないガキだ。
私は彼が大好きだ。
レイ・チャールズがそう言っていたと書いてくれ。(クインシー・ジョーンズ自叙伝より)
映画「レイ」のシーンやクインシー・ジョーンズ自叙伝の記述にもあるように、クインシーとレイは長い付き合いの大親友でした。
レイ・チャールズは16歳でクインシーが14歳の時にシアトルで出会い互いに将来の夢を語り合っていたのです。
1951年からそれぞれの道を歩きはじめ、シアトルで二人で描いたさまざまな夢を実行していきます。
レイ・チャールズYouTube動画は削除しましたm(__)m
盲目の人間は人の心を読むことができる。耳に聞こえるひと言ひと言から、その人物の心が伝わってくる。クインシーの口調にはやさしさが感じられた。彼は誠実だった。…………………………私たちはすぐに友達になった。…………………………長い付き合いだが、彼は昔とこれっぽっちも変わっていない。彼はずっとあの頃のクインシーのままだ。まったく途方もないガキだ。
私は彼が大好きだ。
レイ・チャールズがそう言っていたと書いてくれ。(クインシー・ジョーンズ自叙伝より)
2013年6月20日木曜日
Quincy Jones ④
クインシー・ジョーンズがマイケル少年と初めて会ったのは1972年サミー・デイビスjr. のパーティーでした。
そして、初めて仕事をしたのがクインシーが音楽監督をつとめた映画『ウィズ』になります。(マイケル出演)
サントラの評価は高いが映画の評判は低く、私もこの映画をいつかは見ようと思いながらまだ見ぬです(^^;
しかし考えてみると30代半ばでドロシーを演じたダイアナに(^^; かかし役のマイケルを見れるだけでも貴重ですね…
この映画の製作中にマイケルはエピックRから初のソロ・アルバムを出す計画があり、プロデューサーを見つけるのを手伝ってほしいとクインシーに相談したそうです。
当時クインシーは映画音楽の仕事がウィズの後も忙しかったのですがプロデューサー探しを約束していました。
映画のリハーサルが進むにつれてクインシーはマイケルの仕事に対する姿勢に感心し、あるワンシーンをきっかけにマイケルの純粋な人柄に触れてソロ・アルバムをプロデュースすることを決意したと…
SワンダーやMゲイがクインシーとの共作を望んでもモータウンが嫌ったようにエピックも最初はジャズの印象が強いクインシーとは組ませないと反対していた・・・
(関連記事:1979年【その時代と音楽】参考:クインシー・ジョーンズ自叙伝)
2013年6月18日火曜日
Quincy Jones③
クインシー・ジョーンズのアルバム『ユーヴ・ゴット・イット・バット・ガール』(1973年)には、
アルバム・タイトルと同じ「男性の自分勝手な気持ちを歌った」内容の“You 've got it bad girl ”と
「アメリカに昔から伝わる不可思議な事を信じるとロクなことがないよ」と歌う名曲“Superstition ”が収録されており、
この2曲はスティーヴィー・ワンダーが前年(1972年)に発表した『トーキング・ブック』からのカヴァーです。
“Superstition ”と言えばジェフ・ベック(ベック,ボガート&アピス)がカヴァーし、双方の言葉の行き違いからマスコミとレコード会社を巻き込む騒動となったことでも有名ですよね。
ベック・ヴァージョンではスティーヴィーのレコーディング部分(クラヴィネット)が使われなかったのですが、
クインシー・ヴァージョンはスティーヴィーのハーモニカとビル・ウィザースとビリー・プレストンがヴォーカル参加しています。
スティーヴィーはベックよりクインシーのヴァージョンがお気に入りのようです♪
ただ、クインシーはこのアルバム全体の出来を気に入ってないのでは…と何かの記事で見た記憶がありますが・・・(^_^;)
そして、ドナ・サマーが亡くなり一年になるのですね…
クインシー・ジョーンズの数あるプロジェクトのなかのひとつにドナ・サマーの1982年の『ステイト・オブ・インディペンデンス』(ジョンアンダーソン&ヴァンゲリス:1981のカヴァー)という曲があり、後の“we are the woord”に繋がったと言われています。
“State of Independence レコーディング”@YouTube
Donna Summer @YouTube
2013年6月17日月曜日
Quincy Jones ②
【インナーヴィジョン: Quincy Jones ←前回の記事はこちら】
2012年12月30日 初版発行
著者 クインシー・ジョーンズ
訳者 中山啓子
発行所 河出書房新社
今年で80歳になったQuincy Jones の生誕を祝い 功績をたたえるという日本公演がこの夏に行われます!
そう言えば【クインシー・ジョーンズ自叙伝】を私は未だに全部読めてません(^_^;)この機会に読もうと思います♪
part1で少し触れましたが女優ウーピー・ゴールドバーグのファンでもあるので、映画『カラーパープル』のエピソードはしっかり読みました。
クインシーさんは『ウイ・アー・ザ・ワールド』を完成させた次の日からスティーヴン・スピルバーグ監督とティナ・ターナー(当初は主役の一人として要請していた・・・)と会い、映画のプロジェクトで動き出したようです!
映画はアカデミー賞11部門でノミネートされるなどヒットしましたが、その余波からノイローゼに陥ったそうです…
※製作中などのエピソードは控えます(^_^;)m(__)m
『カラーパープル』ワンシーン@YouTube
私はクインシー・ジョーンズと繋がりの深いスティーヴィー・ワンダーから洋楽を聴くようになり、スティーヴィーやレイ・チャールズのライブも生で見ました。マイケルのショーは見れなかったのですが彼らの音楽は大好きです♪
クインシーさんが32年ぶりに来日して頂けるというのがとても嬉しく思います♪
それを実現させてくれた関係者の皆さまのご尽力に感謝!!m(__)m
2012年12月30日 初版発行
著者 クインシー・ジョーンズ
訳者 中山啓子
発行所 河出書房新社
今年で80歳になったQuincy Jones の生誕を祝い 功績をたたえるという日本公演がこの夏に行われます!
そう言えば【クインシー・ジョーンズ自叙伝】を私は未だに全部読めてません(^_^;)この機会に読もうと思います♪
part1で少し触れましたが女優ウーピー・ゴールドバーグのファンでもあるので、映画『カラーパープル』のエピソードはしっかり読みました。
クインシーさんは『ウイ・アー・ザ・ワールド』を完成させた次の日からスティーヴン・スピルバーグ監督とティナ・ターナー(当初は主役の一人として要請していた・・・)と会い、映画のプロジェクトで動き出したようです!
映画はアカデミー賞11部門でノミネートされるなどヒットしましたが、その余波からノイローゼに陥ったそうです…
※製作中などのエピソードは控えます(^_^;)m(__)m
『カラーパープル』ワンシーン@YouTube
私はクインシー・ジョーンズと繋がりの深いスティーヴィー・ワンダーから洋楽を聴くようになり、スティーヴィーやレイ・チャールズのライブも生で見ました。マイケルのショーは見れなかったのですが彼らの音楽は大好きです♪
クインシーさんが32年ぶりに来日して頂けるというのがとても嬉しく思います♪
それを実現させてくれた関係者の皆さまのご尽力に感謝!!m(__)m
2013年6月15日土曜日
【モータウン な話】Eivets Rednow “Alfie”
1966年モータウンでは久々にStevie Wonder のアルバム「アップタイト」が成功し、スティーヴィーが好調だった時期(1968年)にゴーディのアイデアでバート・バカラックの“Alfie ”というカヴァー曲をリリースします。
先行したシングルが'成功しなかったにも関わらず'ハーモニカを全面に押し出したインスト・アルバム【Eivets Rednow-Featuring Alfie 】も発表。
ゴーディはオーディション時からスティーヴィーのハーモニカの才能に魅了されていましたが 好調なスティーヴィーの演りたいことをさせた ご褒美的な感じもしますね♪
タムラのStevie Wonder ではなくスティーヴィーの名前のアルファベットを逆表記にしたペンネームでゴーディ・レーベルからの発表ですが
隠すというよりは、スティーヴィーにとって特別なアルバムではないでしょうか…
“Alfie ”はスティーヴィー自身もお気に入りのようです♪
Eivets Rednow “Alfie”@YouTube
「アルフィー」はディオンヌ・ワーウィックのカヴァーで有名ですが、もともとは映画の主題歌だったかと…
名曲「愛のハーモニー」もバート・バカラックの作曲なんですね!映画「ミスター・アーサーのテーマ」もです
皆 素晴らしい曲ではないですか!それにしてもバート・バカラックさん、他にもたくさんの有名曲を手掛けていますな。。(@_@)
ARTHUR'S THEME (Best That You Can Do)@YouTube
“That's what friends are for ”オリジナルはロッド・スチュワート
2013年6月13日木曜日
【モータウン な話】モータータウン・レヴュー
モータウンの成功のひとつに白人をも意識したタレント養成部門がありショー・ビジネスマナーを叩き込むこと
それが生かされのがモータウン・レヴューでしょう♪
ベリー・ゴーディの最も野心的な計画でアーティストを一堂に集めパッケージでライブを行うツアーは1962年11月のボストンを皮切りに23日間19都市をまわるものでした
ツアーのハイライトは南部でのショーになりますが当時の南部は公民権運動で闘争が表面化し揺れていた時期でミュージシャンのなかにはピストルを携帯しているものも
ツアー中は事件や事故に楽しいエピソードなど色々とあったが全米で「モータウン・レヴュー」は大評判となります
1965年にモータウン・レヴューはイギリスに渡り ホスト役でしょうか当時の英スター ダスティ・スプリングフィールドが共演しロンドンでも大歓迎を受け大成功したようです♪
Jジェマーソンは不参加ですがロンドンではハウス・バンドのミュージシャンたちが認識されており ライブ映像ではツアー・バンドのリーダーでEARL VAN DYKE(&ザ*ソウル*ブラザーズ)の看板文字が印象的でした
あとお立ち台のスティーヴィーも(^_^;)
ダスティ・スプリングフィールド(1939-1999)ロンドン生まれのポップスシンガー
彼女はグループ時代の米国ツアー中にモータウン・サウンドと出会いソロ転向後の作品に影響を残すモータウンの大ファン
2013年6月12日水曜日
HOWLIN' WOLF - Smokestack Lightning
映画キャデラック・レコードは、登場人物と背景の年度に実際とは違いがあるようですが 、 映画としては音楽も素晴らしく楽しめました♪
登場人物の皆さん偉大な音楽家ですが なかでも強烈な印象だったのがリトル・ウォルター とハウリン・ウルフです
ハウリン・ウルフ(1910-1976)南部出身のブルーズ・シンガー
チャック・ベリーやマディー・ウォーターズもそうですがハウリン・ウルフも英ロック・バンドに多大な影響を与える
ブルーズに詳しくないので何から聴いていいのやらって感じなんですけれど・・・
YouTube動画は削除しましたm(__)m
BEYONCE 'At Last'(Beyonce Singing the Etta James)
2013年6月11日火曜日
Walter "Shakey" Horton - Shakey's Blues
自分がブルーズ好きなのは 最近うすうす気がついていたのですが…
因みにレコードは1枚も持ってません!
ただ映画キャデラック・レコードを何度か見てさらに興味が広がりました♪
なので映画のシーンにあったリトル・ウォルター“My Babe”の動画を探していたら・・・
ビッグ・ウォルターという人もいるんだと気がつき(ブルーズファンの方なら当然ご存じでしょうけど…)
調べてみました!
通称big walter またはwalter “shakey ”horton
ビッグ・ウォルター・ホートン(1917-1981)
アンプリファイド・ハーププロアー??要はブルーズハーピストですね(^^;
名前の逸話もあるようですが…
リトルもいいがビッグ・ウォルターさんからブルーズを知るのも良いかも♪
YouTube動画は削除しましたm(__)m
2013年6月10日月曜日
【モータウン な話】 真面目なスモーキー②
スモーキーはハイスクールの(女の子を含む)友人たちとヴォーカル・グループ“マタドールズ”を結成し
1957年の夏にジャッキー・ウィルソンのマネージャーのオフィスでのオーディションで歌っていたところ
ベリー・ゴーディJr.もそこに訪れていた
スモーキーたちはウィルソンのマネージャーの提案が気に入らなくてその場から立ち去るのですが
スモーキーのユニークなヴォーカルと自作曲の才能を感じとったゴーディは彼らをすぐに追っかけて話をしたらしいです
その日の出会いからゴーディは彼らのレコードデビューの手助けをしスモーキーとゴーディのパートナーシップが始まるわけですね
後のモータウンの初期を支えたスモーキー・ロビンソン 彼の才能が発揮されたテンプスのマイ・ガールやM・ウェルズのマイ・ガイなどの大ヒットがありました
私が初めてミラクルズの曲を聴いたのは スモーキーが脱退した頃の“Do It Baby ”辺りからで60年代に遡って聴くことはなかったのですが・・・
ソロのスモーキーだと80年代に入ってからの“Being With You”や“Just See Her”は好きですけどね♪
スモーキー・ロビンソンは1972年にミラクルズを脱退しソロになるのですが この頃の曲もミディアムテンポで面白いです“Virgin Man”に“Baby. That's Backatcha ”など
2013年6月8日土曜日
【モータウン な話】GLADYS KNIGHT & THE PIPS
👤 |
コール |
それまではショービシネス界での経験も豊富だったんでしょう?
👤 |
レスポンス |
周りのミュージシャン連中も彼らは大スターになる素質があると評価も高かったって話らしいワ!
そやろ?グルーヴ!
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グルーヴ |
(※グラディスはモータウンから契約の誘いがあった時は反対であったがメンバー内でクジで決めた)
グラディスはモータウンのスタッフが私たちに力を入れるだろうかと疑っていて 当然古顔のスターが優先されることになると思っていたようです
ですがチャンスが訪れます
それはノーマン・ホイットフィールドがマーヴィン・ゲイに用意した“I HEARD IT THROUGH THE GRAPEVINE ”がゴーディに却下された為 「君たちにピッタリだから検討してみてくれ」とグラディスらに曲を預けました
2ヶ月間 彼らなりにアレンジした曲はノーマンも興奮する程ほどの出来で即録音してシングル発表できたってことです♪
すると この“悲しいうわさ”はR&B1位 全米2位の大ヒットとなりグラディス・ナイト&ザ・ピップスのモータウンにおける最大のヒットを記録!
ただ 翌年にマーヴィンのヴァージョンが発表されると こちらもマーヴィン・ゲイ初の全米1位を記録しました(^^;
その他にもエピソードはたくさんありますが 彼らはどうしてもモータウン・ファミリーになれなかっのです
グラディスには多くの評論家から アレサ・フランクリンに継ぐ“ソウルの女王”になると評価されながらも
モータウン内での扱いは そうでもなかったようですね・・・
動画を変更しましたm(__)m(6/28)
’69年ライブ悲しいうわさ@YouTube
※I HEARD IT THROUGH THE GRAPEVINE (悲しいうわさ)はスモーキー・ロビンソン&ミラクルズも録音しています♪
2013年6月6日木曜日
【モータウンな話】THE SPINNERS
とても素敵なミュージック・ビデオに出会えたのでこちらを紹介します♪
ザ・スピナーズの“Sadie ”
スピナーズはモータウン時代にはヒット曲に恵まれずアトランティックでトム・ベルと組んで成功しました
“Sadie”はアトランティック時代のものですが フィリー・ソウルは詳しくないため モータウン時代の話をします
スピナーズはモータウン初期から所属していて マーヴィンの師匠ことハーヴェイ・フークアのお気に入りであったという
元々はアンナ・レコード時代のフークアに指導され その後アンナ・レコード(閉めたため)からフークアが立ち上げたレーベルに移りデビューするのですが
フークアのレーベル(トライ=ファイとハーヴェイ)も上手く行かず
フークアはジョニー・ブリストルやスピナーズと共にモータウンに参加することになったと・・・
スピナーズはモータウン時代に8枚のシングルを残していたが他のアーティストの前座要員ばかり…
売れなかったのは 彼らの才能を生かせなかったディレクター(モーリス・キング)に恵まれなかったのが原因のようです
自由になったフークアはRCAとプロデューサー契約を結びモータウンを離れ
グェンはスピナーズのリードヴォーカルであるG.C キャメロンと結婚 キャメロンはスピナーズを脱退しモータウンに残ります(^^;
アトランティックに移籍することになったスピナーズのリードヴォーカルにはキャメロンが紹介したフィリップ・ウィンが加入し フィリー・ソウルの黄金期を迎える
【モータウンな話】THE SPINNERS ② It's A Shame
スピナーズのモータウン時代のヒット曲“イッツ・ア・シェイム”はスティーヴィー・ワンダーのプロデュースによるもの♪
1970年 POPチャート14位 R&Bチャート4位 シリータ・ライトとリー・ギャレットもライターで参加しています♪
モータウン 傘下VIP より |
1971年アルバム BEST OF THE SPINNERS もスティーヴィー(シリータ参加)によるプロデュースでした
IT'S A SHAME
2013年6月5日水曜日
【モータウンな話】THE COMMODORES(デビュー当初)
コモドアーズとは“バンプ″を世界中に広めたファンキー・グループ。
1971年にモータウンの専属となりジャクソン・ファイブのコンサート・ツアーのサポートからスタート
先輩達の世代ではザ・バンプやマシンガンで踊っていたのでしょうね・・・
私は70年代後半にレコード(disco sound special )で知りましたが 特に“マシンガン”は現在でもに踊れる最高な曲です♪
名盤 |
日本で特別シングル・カットされた″スーパー・マン”も面白い曲です
1975年に2度来日しておりセカンドからの“スリパリー”は東京音楽祭の参加曲でした(銅賞受賞)
コモドアーズについては たくさん書くことがありますので また何れ\(__
2013年6月4日火曜日
【モータウンな話】EDDIE KENDRICKS
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[コール] |
四つ打ちって何??
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[レスポンス] |
たぶんリズムのことだろう…グルーヴ教えたれ!
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[グルーヴ] |
主にダンス・ミュージックにおいてバスドラムにより等間隔に打ち鳴らされるリズムのことを指す・・・・・・簡単に言えばダンス・ミュージックにおいて「ドン・ドン・ドン・ドン」と延々と低い音が入っているリズムとあります(wikipedia より)
その始まりは元テンプスのEddie Kendricks の曲
“Girl You Need A Change of Mind″(1973年)であり バスドラムで録音された四つ打ちの楽曲が初のディスコのレコードではないか・・・と書いてあります(wikipedia 参考)
そのEddie Kendricks がテンプスを脱退時の話もモータウンでは歴史的にショッキングな出来事でした
一つにはノーマン・ホイットフィールドがテンプスの担当になり コーラス・グループからの路線変更にエディが不満を抱きグループを去ったと言われています
EDDIE KENDRICKS :1946年12月17日 アラバマ州ユニオン・スプリングス生まれ
元テンプテイションズのオリジナル・メンバーで71年にグループを去りソロとして活動
最初はパッとしなかったが 73年の夏に発表した「キープ・オン・トラッキング」が大ヒツト
そして「ブギー・タウン」も大ヒツトするなどモータウンの看板スターにまでのし上がる
2013年6月3日月曜日
【モータウンな話】THE DYNAMIC SUPERIORS
モータウン(傘下レーベル含む)で異色のグループと言えば
先ずは 6人編成で全員白人のレア・アース
彼らはロックバンドですが 「ゲット・レディ」でのソウル・フィーリングに満ち溢れた迫力あるヴォーカルとダイナミックな演奏 が魅力ですね♪
次にアンディスピューティッド・トゥルース
彼らの サイケデリックな独特のサウンドもユニークです♪
日本で初めて紹介された「UFOs」は 当時ではとても驚きだったでしょう!
そして 異色なグループがもう1つ
ダイナミック・スーペリアーズ
1974年の秋にデビューした5人からなるヴォーカル・グループですが
当時のモータウンでは珍しいフィラデルフィア・サウンド及びイースト・コースト系です
アッシュフォード&シンプソンのプロデュース
デビュー・ヒット・シングル「シュー・シュー・シャイン」は
名曲と言っても良いでしょう♪
最近 ソウル・トレインの動画を見ましたが 結構インパクトあり(^^;
リードVo.トニーさんのファルセット・ヴォイスとコーラス・ハーモニーは素敵ですよ♪
2013年6月2日日曜日
【モータウンな話】The Undisputed Truth
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[コール] |
最近は80年代洋楽記事が多いすね!?
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[レスポンス] |
好きなのはわかるが…ぼちぼちモータウンの話でも聞いてみたいのぉ~
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[コール] |
ぼくも80年代の洋楽は好きですよ!
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[レスポンス] |
今でもあの時代は良かったとか注目されてんやけど当時はそうでもなかったんやけどな・・・なっグルーヴ?!
👤 |
[グルーヴ] |
そうですね…当時80年代に突入した時期、ラジオでDJや音楽評論家などは、'60~70年代の洋楽が素晴らし過ぎてて80年代は不作だと 初期の頃は言っていた記憶があります(^^;
私の場合リアルタイムで聴いていたのと思い入れも強く今でも好きですが(^^)
それに 今よりは遡って70年代ソウルやモータウン・サウンドに馴染め易かったのも良かったですね♪
私の洋楽との出会いはDISCO SOUND SPECIAL という1枚のアルバムからでした
なかでもスティーヴィ・ワンダーに惹かれたのですが
このアルバムには様々なモータウン・アーティストの曲が収録されており
その中に不思議な曲「UFO」「アイム・フール・フォー・ユー」がありました
これは アンディスピューティッド・トゥルースというグループの曲です
鬼才ノーマン・ホイットフィールドが育て上げた男性1人 女性2人からなるコーラス・グループで そのスタイルは 斬新でユニークな存在です
結成は1970年で2枚目のシングル「時には微笑みを」がヒット
テンプスの「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」(ノーマン プロデュース)は
彼らアンディスピューティッド・トルースのオリジナルだったのですね…
ノーマンがモータウンを去り自身のレーベルを立ち上げると彼らもノーマン・レーベル所属になります
その後のメンバーチェンジなどでチャカ・カーンの妹タカ・ブーンが加入しており ご存知の方も多いかも…
本日はこの動画をお借りしましたm(__)m
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