2013年7月4日木曜日
【モータウンな話】才能ある人々
ベリー・ゴーディーjr. に信頼されモータウンの “初期” を支えた人物を挙げるならば、
会社設立の提案をし、音楽プロデューサーとしての才能が発揮されたスモーキー・ロビンソンと、配給担当で白人のバーニー・エイルズ。
バーニー・エイルズはレコード業界での経験が買われ、白人優先主義の業界とのパイプ役に必要だった。
そしてもう一人、ウィリアム・ミッキー・スティーヴンソンは、優秀なプレイヤー(後のファンク・ブラザーズ)をモータウンと契約させ、
モータウンのデレクターとしてミュージシャン、プロデューサーたちを監督する重要な役目が与えられた。
スモーキーが手掛けた“ショップ・アラウンド”の成功は、モータウンの発展において重要な曲となったようです。
最も“貢献”したアーティストはマーヴィン・ゲイではないでしょうか・・・
マーヴィンはピアニスト兼ドラマーから始まり、さまざまなプロデューサーと組まされ、次々と女性歌手との相手役もさせられた。
W・スティーヴンソンやその部下クラレンス・ポールのプロデュースではメリー・ウェルズの相手をさせ、
スティーヴンソンの妻キム・ウェストンとの組み合わせではスティーヴンソンが自分の地位を利用していると社内の反感があったという。
それでもマーヴィンは常にチーム・プレイヤーとして全力を尽くしていた。
次のアルバムは新チーム、マーヴィンの師匠ハーヴェイ・フークアとジョニー・ブリストルがプロデュースをし、
アシュフォード&シンプソン作曲“エイント・ノー・マウンテン・ハイ・エナフ”がリリースされた。
相手役には新人のタミー・テレルが選ばれた!
彼女は愛嬌がありセクシーでモータウン内でも人気のシンガーとなり、
他の女性シンガーも彼女の魅力には誰もかなわなかったらしい。
1967年4月に発表されたエイント・ノー・マウンテン・ハイ・エナフはNo.1にこそならなかったが、名曲の仲間入りとなる。
しかしタミーは、その僅か数ヵ月後のステージ上でマーヴィンの腕の中に倒れ込んだのです・・・
V.Simpson & M.Stoller @YouTube
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