2013年7月11日木曜日
【モータウンな話】Florence Ballard
“少なくとも名前(THE SPUREMES)は私の作品”Florence Ballard
スプリームスの前進プライメッツ結成時の彼女たちを知る人々の話はまちまちですが
ただ、ひとつ言えることは
始まりはフローレンス・バラードだということ
フローが中心となり、プライムズ(後のテンプス)とともにデトロイト周辺で歌うようになり
フローはグループの活動に専念するために他のあらゆるものを犠牲にしグループの将来を賭けていた
因みに モータウンに入る前にはルパインという小さなレーベルでレコードも出しています
PRIMETTES@YouTube
彼女たちがモータウンと契約したのは1961年1月から
まったく評判にならず
その後メンバーの1人バーバラ・マーティンは結婚で脱退
1962年に発表されたフーズ・ラヴィン・ユー(スモーキー作)も評判にならなかったがB面のバタード・ポップコーン(ゴーディー、エイルズ作)がラジオで話題となりました
そこで、バーニー・エイルズはキャンペーンを展開し売り出そうとするがゴーディーがストップをかけたという・・・
バタード・ポップコーンはフローがリードヴォーカルでしたが
ゴーディーはこの頃からダイアナをリードに据えスプリームスを売り出そうと考えており
フロー=スプリームスのイメージ付けされるのを嫌ったようです
フローで売れては困るってことでしょうか・・・
ただ、このエピソードは後付けの感じもあります(^^;
何れにせよバタード・ポップコーンは、スプリームスの歴史のなかでも欠かせない曲となりました♪
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿