2013年7月6日土曜日

【モータウンな話】What's Going On



マーヴィン・ゲイにとってタミー・テレルとの出会いと別れは人生の転機となり、その後の音楽に影響をおよぼすことになる。


タミーは闘病しながらの活動だったが、1968年アシュフォード&シンプソンがプロデュースした傑作“You're All Need to Get By”がヒットし、


ソロ、マーヴィン・ゲイとしても“I Heard It Through the Grapevine”が初のPOP CHART 1位を獲得するなど、マーヴィンの音楽活動はデュエット、ソロ共に順調だった。


一方のタミーは度重なる手術を受けながらも、気力をふりしぼりレコーディングを試みていたが…1970年3月16日、フィラデルフィアの大学病院で息をひきとったのです。


人一倍感受性の強いマーヴィンは、タミーの病名を聞かされた頃から気づいてあげられなかったと自分を責め、死のショックから、途方に暮れて毎日を過ごすようになった。


この頃のモータウンはジャクソン・ファイブの活躍もあったが、アーティストの移籍やH-D-Hとの訴訟問題など荒れていた時期でした。


そして、1970年はダイアナ・ロスがスプリームスを脱退し、ジーン・テレル”が加入。(兄はアーニー・テレル)


モータウンはダイアナ・ロスのソロデビュー大キャンペーンを展開中だった。


好調なプロデューサーチーム、アシュフォード&シンプソンがダイアナ・ロス初のソロ・アルバムを手掛けることは自然な流れではあるが、


信じられないことにモータウンとゴーディーはタミーが亡くなったこの年にダイアナ・ヴァージョン「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・エナフ」をリリースさせている・・・


その頃もマーヴィンはタミー・テレルの病気の件からずっと色んな矛盾に悩み、暫く方向を探し求めていたそうです…


そして思いつたのが、プロフットボール選手を目指すこと…直ぐに叶わないとわかると次にボクシングに夢中になります…


徐々にではあるが前向きに行動を起こすようになり、音楽制作も始める。


それはモータウンでは許されなかった自分が演りたい音楽でした。そこに友人のクリーヴランドとベンソンの二人が完成させた“ホワッツ・ゴーイン・オン”を薦めてきた。


乗り気ではないマーヴィンを説得しづつけていたらしい・・・




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