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[コール] |
僕は、映画ドリーム・ガールズを見てフローレンス・バラードさんのエピソードを知ったんだけど…ベリー・ゴーディーjrさんやスモーキー・ロビンソンさんは、この映画の「描写は100%間違っている」と批判されてたんでしょ?
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[レスポンス] |
確か制作側の謝罪をゴーディーが受け入れ和解した筈だ!
でも当事者の一人メリー・ウィルソンはミュージカルを見た時点で、「あれが本当のスプリームスよ!」とも言ってたけどな(^^;
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[コール] |
やっぱり真実に近いんでしょうか…なんかショックですね…
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[レスポンス] |
映画化以前のミュージカルが'81年からだろ!?ってことは あの事件
(ダイアナがメリーをステージ上で突き飛ばしたモータウン・スペシャル)
の前なら…自然と出た言葉かもよ!
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[コール] |
そっか…もしその話も事実で一時的な感情で言ってないんだとしたら、尚更ショックです…ダイアナ・ロスさんへの見かたが変わります…
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[グルーヴ] |
コールさんの気持ちもわかりますが、ダイアナの性格がどうであれ、ダイアナだからゴーディーの要求にも応え、スプリームスを引っ張りスーパースターとしてのプレッシャーにも耐えたとも言えます
ゴーディーの夢を実現したダイアナは歌唱も素敵ですし、何よりも精神力の強さは凄いですよね!
と言いながら…そう言う私もゴーディーのフェアじゃないやり方や、ダイアナばかり優遇されることに不満を募らせた人がたくさんいたのも事実だと思っています
なかでもフローレンス・バラードの悲劇は映画以上のものでした
ダイアナ・ロスがグループのリードヴォーカルを勝ち取った経緯は恋仲の噂があったブライアン・ホランドの話もある
スプリームスの初の全米1位“Where Did Our Love Go”のリードヴォーカルは当初フローでもダイアナでもなくメリー・ウィルソンに決まりかけていて
エディ・ホランドはメリーの声を薦めたが、H=D=Hの間の話し合いで2対1でダイアナになったとのこと
この“Where Did Our Love Go”の大ヒットでモータウンとスプリームスの間で再契約がなされ
スプリームスがモータウンのなかで重要なアーティストになったことを意味する
その時の契約なのかにフローが名付けた「スプリームス」という名は、フローがグループから脱退したらグループ名を使用する権利はなくなるものでした
フローがグループから孤立していったのには彼女自身にも少し問題があるにせよ、同情する部分もある
しかしフローレンス・バラードの最大の悲劇はモータウンを去ってからの話かもしれません
1967年にフローレンス・バラードは会社の方針や社内のトラブルからある条件に同意させられモータウンを去りました
それは、数年間は少額の報酬を受けれるが以後の印税は受け取れず、元スプリームスのメンバーと名乗ることも禁じるというもの
フローは弁護士を雇い一定の合意に達したあと、ABCレコードと契約し再スタートするがモータウンの巧みな妨害もあったようです
さらに雇った弁護士がフローのお金を使い込み彼女は一文無しになった
最終的には5万ドルを奪い返すのだが、争いごとばかり続いたようです・・・
The Supremes @YouTube
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